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東京地方裁判所 昭和57年(刑わ)3691号 判決 1984年11月05日

主文

被告人三名をそれぞれ懲役二年に処する。

被告人三名に対し、未決勾留日数のうち各一〇〇日を、それぞれその刑に算入する。

この裁判確定の日から、被告人三名に対し各四年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人三名の連帯負担とする。

理由

第一部事実

(被告人三名の身上経歴)

1  被告人植草泰二の身上経歴

被告人植草泰二は、昭和三八年に千葉県立千葉工業高等学校を卒業後、大日本インキ株式会社、千葉県水道局市原営業所、千葉県内のガソリンスタンド、土屋運送等に勤め、昭和四三年三月一日に千葉アサノ運輸株式会社に入社しコンクリートミキサー車の運転手として働くようになり、同社の営業譲渡などに伴つて、その後は株式会社三荒に籍を置いている者である。また、同被告人は、右千葉アサノ運輸株式会社に入社後、千葉アサノ運輸労働組合に加入し、同組合の執行委員、書記長、副委員長、委員長などを歴任し、昭和五二年二月同組合が分裂し、同被告人の所属する組合が全国自動車運輸労働組合(以下「全自連」という。)に加盟したことに伴い、全自連東京地方本部東部地域支部千葉アサノ運輸分会分会長に選出され、同年に全自連が全日本運輸一般労働組合(以下「運輸一般」という。)と名称を変更したが、昭和五三年に運輸一般東京地方本部東部地域支部副委員長、昭和五四年及び同五五年には同支部委員長、昭和五五年及び同五七年には東京地方本部執行委員に各選出され、更に昭和五五年一一月二日運輸一般東京地区生コン支部(以下「運輸一般東京生コン支部」という。)の結成と同時に同支部委員長に選出され、その後引き続き同委員長として組合活動に従事し、なお昭和五七年に同組合全国生コン部会幹事を、昭和五八年に同部会副部会長を兼任した。

2  被告人志村德二の身上経歴

被告人志村德二は、昭和三四年に東京都立港工業高等学校(定時制)に入学したが、昼間はマイアミ貿易株式会社羽田出張所で働き、仕事に追われたことなどから昭和三七年に右高等学校を中途退学し、昭和三八年に山陽電気土木株式会社に勤め先を変え、昭和三九年四月新興生コン輸送株式会社に入社して、その後はコンクリートミキサー車の運転手として働いている者である。また、同被告人は、右新興生コン輸送株式会社に入社後、新興生コン輸送労働組合に加入し、昭和四三年同組合の執行委員に、昭和四四年から昭和四七年まで同組合書記長に各選出され、昭和四七年同組合が分裂したが、新たに結成された豊洲新興生コン輸送労働組合委員長に選出され、その後昭和四八年同組合の全自運加盟に伴い、全自運豊洲新興生コン支部が発足し、更に運輸一般東京生コン支部が前記のように結成された際、これと同時に同支部副委員長に選出され、現在に至るまでその任に就いている。

3  被告人猪浦潔の身上経歴

被告人猪浦潔は、新潟県立柏崎商業高等学校を卒業後、しばらく札幌市内の海産物問屋などで働いていたが、昭和三七年一〇月に東洋海陸運輸株式会社(昭和四一年一一月に新東運輸株式会社と名称変更)に入社し、その後は東京都港区所在の同社芝浦営業所でコンクリートミキサー車の運転手として働いていた。そして、同被告人は、昭和三八年四月に東洋海陸運輸芝浦営業所労働組合が結成された際これに参加して、同組合青年部長に選出され、同年一一月同組合が全自運神奈川地方本部に加盟し、その後本部執行委員、副委員長、全自運中央本部会計監査を歴任し、全自運東京地方本部に移籍後、同本部生コン部会事務局長、昭和四九年一〇月同本部東京中部地域支部執行委員として組合活動に携わり、更に運輸一般東京生コン支部が前記のように結成されるや、その結成と同時に専従役員である同支部書記長に選出され、以後前記会社を休職して、引き続き同書記長として同支部の活動に専従している者である。

なお、運輸一般東京生コン支部の事務所(以下「東京生コン支部事務所」という。)は、結成後昭和五七年三月まで東京都港区港南四丁目六番五七号所在の同支部三菱芝浦分会事務所と同居していた。

(日立セメント株式会社と横山産業株式会社の関係等)

1  日立セメント株式会社の概況

日立セメント株式会社(以下「日立セメント」という。代表取締役株木正郎及び株木やよ)は、セメント及び代用セメントの製造、販売等を営業目的とする資本金五億円の株式会社であり、本店所在地は登記簿上茨城県日立市平和町二丁目一番一号であるが、本店としての業務は実質上東京都豊島区高田三丁目三一番五号所在のマルカブビル一階にある同会社の東京事務所で行なつている。

2  日立コンクリート株式会社の概況

日立コンクリート株式会社(以下「日立コンクリート」という。代表取締役株木正郎及び株木やよ)は、その株式の約四四パーセントを日立セメントが保有している同会社の関連系列会社で、生コンクリートの製造、販売等を営業目的とする資本金一億五〇〇〇万円の株式会社であり、本店を日立セメントの東京事務所のある前記マルカブビルの五階に置き、生コンクリートの原料であるセメントをすべて日立セメントから購入している。

3  横山産業株式会社の概況

横山産業株式会社(以下「横山産業」という。代表取締役横山靖之)は、コンクリート製品の製造販売、生コンクリートの製造販売等を営業目的とする資本金二〇〇〇万円の株式会社であり、本店を東京都足立区伊興町前沼一二八〇番地に置き、日立セメントからは同会社の販売特約店(東信建材)を介してセメントを購入しているが、日立セメント及び日立コンクリートとは資本・人事構成上の関係も、業務提携等の関係も全くない。

(犯行に至る経緯)

運輸一般東京生コン支部においては、昭和五六年一月、従来は企業内労働組合もなかつた横山産業の従業員らの間で組合結成の動きが生じ、右従業員らのうちに被告人猪浦を知つている者がいたこともあつて、同被告人に連絡をとつて来たことから、同月中旬ころより同被告人が中心となり、他の被告人二名も加わつて横山産業の従業員らのために学習会を開いたり組織化の指導にあたつたりし、同年三月二九日、横山産業の従業員のうち運転手を中心とした二〇名をして運輸一般東京生コン支部横山生コン分会(以下「横山分会」という。)を結成するに至らせた。

そして、被告人らは、横山分会の組合員となつた者らが横山産業の使用者に対し、組合結成を通告したり、同年六月初めまで、労働条件の改善を求めて使用者らと五回にわたり団体交渉を行なつたりする間、被告人ら自らも代表としてその交渉の席に出るなどしていたが、同月六日、突然に横山分会の者らから分会全体として運輸一般東京生コン支部から脱退する旨の文書が送られて来た。そのため、被告人らは、右脱退について不審の念を抱き、早速に運輸一般東京生コン支部の組合員らと手分けして横山分会に加入していた者らの家を訪ねて脱退までの経過を問い質したりし、結局、右脱退が横山産業の使用者らの利益誘導によるもの、すなわち不当労働行為が行なわれたものという判断に達し、運輸一般東京生コン支部として横山産業に対し団体交渉を申し入れたが、横山産業がこれに応じなかつたため、同年九月中旬、東京都労働委員会(以下「都労委」という。)に対し同支部として不当労働行為の救済申立てを行なつた。更に、被告人らは、同月二五日ころ、再度横山産業に対し内容証明郵便で団体交渉を申し入れたが、これに対しても横山産業では、同月三〇日ころ、同会社の代理人笠原克美弁護士名義で右申入れを拒否する回答を寄せて来た。その後、運輸一般東京生コン支部においては、同年一〇月七日に開かれた執行委員会で横山分会の問題(以下「横山問題」という。)について討議し、都労委における救済手続をすすめていくほか、横山産業のいわゆる背景資本に働きかけその影響力を行使させて、同支部と横山産業との交渉の接点を作らせるとともに、横山産業をして(1)その行なつた不当労働行為を謝罪させる、(2)いわゆる原状回復として横山分会を再建させる、(3)不当労働行為によつて同支部が蒙つた損害を回復させるという三項目(以下「謝罪・原状回復・実損回復の三項目」という。)の要求を受けいれさせることにし、その働きかける相手としては横山産業にセメントを納入している日立セメント、住友セメント株式会社(以下「住友セメント」という。)及び日本セメント株式会社(以下「日本セメント」という。)の三社に決定した。そして、運輸一般東京生コン支部においては、同月二九日に被告人三名が中心となつて日本セメントに対し申入れなど行ない、更に同年一一月一四日に開かれた執行委員会で、右一〇月七日の執行委員会で決定した謝罪・原状回復・実損回復の三項目の要求を再確認するとともに、右三社に対しその影響力の行使を求めるためのいわゆる「要請」を強化していくことを決定した。

被告人植草及び同志村は、運輸一般東京生コン支部の組合員三名とともに、同年一二月四日午後三時ごろ、前記日立セメント東京事務所を訪れ、応対した経理部次長兼総務部次長山中敬三(以下「山中次長」という。)及び東京営業所所長代理上田悌二郎(以下「上田所長代理」という。)に対し、その身分を名乗つたうえ、横山産業の経営実態を説明するとともに、横山分会に加入していた者らが横山産業の使用者らの不当労働行為により運輸一般東京生コン支部を全員脱退したことを説明し、「横山産業という反社会的な企業に対しセメントを納入するのは道義的におかしい。日立セメントは横山産業に対するセメントの納入をやめるべきじやないか。日立セメントが横山産業に対して何らかの対応をして欲しい。日立セメントの回答を聞きたい」などと申し入れたが、上田所長代理らから即答できないという態度をとられたため、回答期限を同月九日とし、同日電話で回答するよう申し入れてその場は立ち去つた。これに対し、日立セメントにおいては、被告人植草らから右のような申入れのあつたことの報告を受けた代表取締役社長株木正郎(以下「株木社長」という。)の指示により同月八日常務取締役小口和夫(以下「小口常務」という。)、常務取締役池上昭久(以下「池上常務」という。)、取締役総務部長兼経理部長佐藤弘道(以下「佐藤部長」という。)ら数名が集まつて対策会議を開き、横山問題についての対応にあたる担当者には企画管理部管理課管理係長岸川幸雄(以下「岸川係長」という。)及び営業部営業課第二係長入江通文(以下「入江係長」という。)とすることにし、佐藤部長、岸川部長らが同日ころ東京都内にある住友セメントの事務所に赴き、同会社の対応の様子を探るなどし始めたが、同会社においてもいまだ対応を決定していないように窺えたところから再度対策会議を開いて、同月九日に日立セメントとして回答を行なわないことを決定し、同日前記東京生コン支部事務所に電話するなどしなかつた。

運輸一般東京生コン支部においては、同月一四日に開かれた執行委員会で、前記セメント三社に対する申入れ内容について各社を訪れた担当者から報告がなされ、またさきに同月一一日及び一二日に開かれた運輸一般全国セメント生コン部会の幹事会で「セメント三社に対し、横山産業の社長を説得してもらい、横山問題を解決してもらうよう要請し、翌年一月二九日の右幹事会までに横山問題の解決を図つていく」などということが決議されていたことを受けて、右一月二九日に開かれる右全国セメント生コン部会の幹事会までに横山問題についても解決していくことを申し合わせるとともに、前記セメント三社に対する具体的な交渉を専従者である被告人猪浦に一任することにした。そのような折から、運輸一般関西地区生コン支部副委員長工藤誠は、昭和五六年一二月一七日、前記日立セメント東京事務所に電話し、応対に出た山中次長に対し、「横山問題に関し、特に住友セメントは努力するという態度を表明しているので、日立セメントとしても横山問題の解決に努力をしてもらいたい。一二月二三日ころまでに返事をいただきたい」旨申し入れ、一方、日立セメントにおいては、右のような申入れがあつたという山中次長からの報告に基づき、日本セメントや住友セメントの担当者らに電話で問い合わせた結果などを考慮に入れながら、小口常務、池上常務、佐藤部長、岸川係長らが協議した結果、とりあえず「運輸一般東京生コン支部からの話は一応横山産業に伝える」旨同支部に回答することを決定した。そして、被告人猪浦は、右工藤から右のような電話をしたことを聞いていたことから、同月二三日、前記東京生コン支部事務所から前記日立セメント東京事務所に電話し、応対した岸川係長に対して日立セメントとしての回答を強く迫り、岸川係長において具体的な回答を示さなかつたため、同月二六日までに回答するよう求め、次いで、同月二六日岸川係長が右東京生コン支部事務所に電話で「日立セメントとしての対応策が決まつていない。一月一〇日ころまで回答を延期したい」旨申し入れて来たため、一応右申入れを受けいれたものの、同係長に対し「結論をつけなければお宅の会社は大変なことになる」などと強く不満のある態度を示した。これに対し、日立セメントにおいては、昭和五七年一月九日に至るも、小口常務ら担当者の間で結論が出なかつたことから、岸川係長から右東京生コン支部事務所に電話して、再び被告人猪浦に対し同月一八日まで回答を延期してもらいたい旨申し入れ、同被告人から「他の二社とは解決の方向に進んでいる」などと言われたものの、回答の延期についての了承を得た。

運輸一般東京生コン支部においては、同月一四日、被告人三名が出席して開かれた執行委員会で、同支部としては昭和五六年一二月二八日住友セメントとの間で、(イ)横山産業が同支部に対し一定の解決金を支払う、(ロ)横山産業が遺憾の意を表する、(ハ)同支部が労働委員会に対し行なつた救済申立てをすみやかに取り下げるなどという内容の覚書を取り交わしたことが報告されたが、住友セメントに対する働きかけの結果によつても横山分会の再建問題はなお未解決な状態のまま残つているところから、横山産業をして横山分会の再建を認めさせるため、今後は、これまでの取引状況などに照らし横山産業に最も影響力が強いと窺われる日立セメントに対し、その影響力を行使させようということを決定した。そこで、被告人三名は、昭和五七年一月一八日午前一〇時ころ、運輸一般東京生コン支部の組合員七名とともに、前記日立セメント東京事務所を訪れ、応対に出た岸川係長及び入江係長に対し、被告人植草において「今日は回答をもらいに来た」などと告げ、岸川係長から「日立セメントとしての結論が出ていない」という趣旨の答がなされるや、被告人猪浦において「住友との間では解決した。もつと誠意を示せ。お宅の会社がそんな会社だと、お宅の会社自体大変なことになる。お宅の粉を止めるぞ」などと申し向けて暗に金銭的解決を迫り、かたわら、岸川係長から住友セメントとの間で作成した覚書を見せて欲しいという求めがあつたこともあつて、住友セメントの担当者らと被告人らとの間で作成し、当事者名としては横山産業と運輸一般東京生コン支部の表示のある解決金支払を内容とする覚書の写を岸川係長に見せたりした。また、被告人猪浦は、同月二五日、右日立セメント東京事務所に電話して、岸川係長に対し「二七日に回答をもらいに行く」旨伝えた。

他方、日立セメントにおいては、同月二五日及び二六日、小口常務ら担当者が対応を協議した結果、横山産業の右覚書の判子が本当に押されたものかどうか疑問を残しながらも金銭解決もやむを得ないであろうという結論に達し、金銭解決の腹づもりで今後の対応をすることを決定したが、具体的な金額については協議するに至らなかつた。

被告人志村及び同猪浦は、同月二七日、前記日立セメント東京事務所を訪れて岸川係長及び入江係長と会い、回答を求めたが、岸川係長から「会社の方針としては、対応することに決まつた。住友セメントへ行つて来たけれども、真相がつかめなかつた」旨の答を得たにとどまつたため、なおも岸川係長らに対し、強い態度で、横山問題を解決するためには日立セメントが横山産業に働きかけて運輸一般東京生コン支部との話合いのテーブルを作つて欲しいという趣旨の要求を繰り返した。そして、被告人猪浦は、同年二月四日午前一〇時すぎころ、前記東京生コン支部事務所から右日立セメント東京事務所に電話して、岸川係長に対し、まず初めに日本セメントとは一八〇〇万円で解決した旨伝え、横山産業をテーブルにつけさせることを求める趣旨の話を始めたところ、岸川係長から、「横山産業とコンタクトすることは難しい。何とか解決して欲しい」などと言い出され、結局、同被告人が「あなたのところで解決するとすれば、一〇〇〇万円というのが最低でも話をまとめる額になるんじやないでしようか」などと話すに至り、岸川係長から金銭解決によることを受けいれる態度を示されたことから、岸川係長との間で覚書の当事者を誰にするかで話し合い、いつたん電話を切つたものの、同日午後一時半ころ、再び右日立セメント東京事務所に電話し、同係長と覚書を作ることについて話し合い、当事者を日立セメントと運輸一般東京生コン支部として、横山産業を除外し、また、日立セメントの側で覚書の草案を作成し、そのため一〇日ほど期間をおくことなどを互いに了承し合つた。右電話に基づき、日立セメントにおいては佐藤部長、岸川係長らが協議した結果、(イ)覚書の草案作成、(ロ)解決金の金額の減額、(ハ)横山産業側との交渉を堀内稔久弁護士(以下「堀内弁護士」という。)に依頼することを決め、同月九日、岸川係長らが堀内弁護士を同都内の同弁護士事務所に訪ね、運輸一般東京生コン支部とのそれまでの経緯について説明するとともに、右(イ)ないし(ハ)の三点について依頼し、その際日立セメントの方針としては金銭解決もやむを得ないと考えている旨伝えた。その後、被告人猪浦は、同月一二日ころ、前記日立セメント東京事務所にかけた電話で、岸川係長に「一〇〇〇万円の用意できるか」などと尋ねたところ、岸川係長からかえつて「上司と相談中である。横山産業をテーブルにつかせるよう努力している」旨の答があり、その際同被告人が「横山産業が入れば情状酌量の余地がある」などと言つたこともあつて、同電話で岸川係長から「一〇〇〇万円を値引いて欲しい」旨強く求められるに及び、これに対し同被告人が「横山産業が入れば八〇〇万円に値引く。それで手打ちだ。覚書を作つて、金を持つて組合の事務所に来てくれ」と申し向けるに至つた。そして、同被告人は、同月一六日午前、右日立セメント東京事務所に電話して、岸川係長に対し解決金の支払について最終的な協定案作りを早くやつて欲しいという趣旨の話をしたところ、岸川係長から社内にもう少し問題が残つているのでしばらく待つて欲しいという趣旨の返答があつたことから、その際はまた後にもう一度電話するという趣旨のことを告げていつたん電話を切つた。

ところが、被告人志村は、同日午後五時前ころ、東京駅八重洲口前所在の国際観光ホテルにおいて、被告人猪浦から日立セメントとの間で解決できそうなので、岸川係長に同ホテルまで来てもらうよう電話することの依頼を受け、同日午後五時ころ、同ホテルから右日立セメント東京事務所に電話して、岸川係長に対し同ホテルまで来て欲しい旨申し向けたところ、岸川係長から今なお社内において検討中である旨の返答があり、更に電話をかわつた堀内弁護士から、「どういう性格の金だ。金が欲しかつたら請求書を持つて来い。出るところへ出ようか。恐喝ではないか」などと強い口調で話し始められたため、被告人志村が「恐喝とは何だ」などと激しく言い返し、再び電話をかわつた岸川係長に対し、同被告人が「話が違うじやないか。お宅の会社は最初からやり直しするのか」などと申し向け、そして再度電話に出た堀内弁護士とも言い争いとなつたまま互いに電話を切り、交渉が打切られた状態に達するに至つた。

(罪となるべき事実)

被告人志村及び猪浦は、昭和五七年二月一六日、右のように堀内弁護士との間の電話が切れたのち、右国際観光ホテルにおいて、被告人志村が被告人猪浦に右電話の内容を報告し、ともども恐喝呼ばわりをした堀内弁護士に腹立ちを覚えるとともに、今後のことについて話し合ううち、住友セメントなどとは横山問題に関して既に金銭による解決が済んでいることや、日立ママセメントにおいても既に一〇〇〇万円ないし八〇〇万円の線で金銭解決に応じるという態度を示していることに照らし、日立セメントの背信行為を強く責めるとともに日立セメントに対する金銭要求の意思を強く貫くため、実力行使という手段に訴えようという話になり、相談の結果、日立セメントの生コンクリート製造部門と理解していた日立コンクリートの工場に赴いていわゆる「宣伝行動」を行ない、実質的に工場の出荷業務を停滞させるなどして、日立セメントをしてそのまま放置しておくときは一層の損害を蒙るものと畏怖させ、紛争解決金名下に日立セメントから金員を喝取することの共謀を遂げた。そして、被告人志村及び同猪浦は、右共謀に基づき、同月一七日午前七時ころ、前記東京生コン支部事務所において、被告人猪浦が運輸一般東京生コン支部三菱南埼玉分会のストライキ支援のために集まつた運輸一般東京生コン支部の各分会代表者らに対し、日立コンクリートの戸田橋工場へ「宣伝行動」を行ないに行く旨伝え、更に同日午前九時ころ、同被告人が前記日立セメント東京事務所に電話し、応対した経理部資金課職員斉藤栄昭に対し、「岸川係長に伝えてくれ。こちらは対決する方針に決定した。お宅のサービスステーション及び生コン工場に何らかの行動を起こす」などと申し向け、その後、被告人志村が同日午後一時三六分ころから午後三時五分ころまでの間、埼玉県川口市緑町九番一八号所在の日立コンクリート戸田橋工場に運輸一般東京生コン支部の組合員約三〇名とともに赴き、同工場構内において、「宣伝行動」として同工場の従業員らにビラを配つたり、待機中のミキサー車のステップに足をかけて運転台に座る運転手らに話しかけたり、更には出構しようとするミキサー車の前に立ち塞がるなどして同工場の出荷業務を著しく停滞させた。次いで、被告人三名は、被告人植草においても右二月一七日、前記東京生コン支部事務所に電話して、日立セメントとの交渉が打切り状態に達したことに伴い日立コンクリートの工場で「宣伝行動」を行なつていることを知つたことから、翌一八日朝東京都墨田区押上一丁目一番七二号所在の日立コンクリート押上工場前に至り、同じく同工場前にやつて来た被告人志村から日立セメントとの交渉が打切りとなつた状況などについての説明や前記日立コンクリート戸田橋工場における「宣伝行動」の様子などを聞き、被告人志村及び同猪浦の意図を知るや、直ちに自らもこれに加わることにし、被告人志村と当日の「宣伝行動」について相談するなどして被告人植草と同志村との間で、更に被告人植草と同猪浦との間でも被告人志村を介し互いに意思相通じ、こうして被告人三名の間で日立セメントから紛争解決名下に金員を喝取することの共謀を遂げたうえ、同日午前九時二〇分ごろから午後一時四〇分すぎごろまでの間、右日立コンクリート押上工場構内において、被告人植草及び同志村が運輸一般東京生コン支部の組合員約三〇名とともに宣伝行動と称して前同様ミキサー車の前に立ち塞がつたりし、その間同工場の出荷業務を著しく停滞させ、更に同日午後二時すぎごろから午後三時四〇分ころまでの間、同都葛飾区東四つ木二丁目三番二二号所在の日立コンクリート葛飾工場前において、被告人植草及び同志村が運輸一般東京生コン支部の組合員約三〇名とともに宣伝カーによる演説などを始め、その際既に同工場の門扉を閉鎖されていたことから、門扉越しに同工場の従業員らにビラを配つたり同工場に帰つて来たミキサー車の運転手にビラを配るなどし、その間同工場の出荷業務を事実上停止させ、次いで、同月一九日午前一〇時すぎころから午後一時五分ころまでの間、被告人志村及び同猪浦が運輸一般東京生コン支部の組合員約五〇名とともに前記日立コンクリート押上工場前に至り、再度宣伝行動と称して出構しようとするミキサー車の前に立ち塞がるなどし、同工場の出荷業務を著しく停滞させた。そして、被告人三名は、右共謀に基づき、株木社長が日立セメントの代表取締役として、被告人らの行なつた日立コンクリートの右各工場に対するいわゆる「宣伝行動」により、これ以上右各工場で出荷業務が阻害されるという事態が繰り返し出現するに至れば日立コンクリート及びいわゆる親会社であり、かつ、同会社にセメントを供給している日立セメントにおいても自らの社会的信用を失ない、また、セメントの供給面でも営業上の損害を受けるおそれがあると畏怖したことから、同月一九日午後八時ころ、株木社長の指示により岸川係長が前記日立セメント東京事務所から前記東京生コン支部事務所に電話をかけて来て、金銭解決を申し出るに及ぶや、被告人猪浦において右電話を通じて岸川係長に対し、「今更何を言つているんだ。我々の力が分つただろう」「八〇〇万円みたいなはした金で手を打てない」「こういうことを仕出かしたのはお宅の日立セメントの方が悪い。その迷惑料をもらわなきやならない。関西の方から動員をしているので、そういう費用も大変かかつている。一五〇〇万円びた一文負からない」などと申し向け、岸川係長を介して株木社長に対し金員の交付を要求するとともに、この要求に従わないときは引き続いて日立コンクリートの各工場に対し「宣伝行動」を行なうなどして日立コンクリートや日立セメントに営業上多大の損害を与えかねない気勢を示し、株木社長をしてその旨畏怖させ、よつて、同月二六日、同社長の指示により日立セメント資金課長石井亨らをして同都豊島区西池袋一丁目一七番一〇号所在の株式会社日本長期信用銀行池袋支店の日立セメント名義の当座預金口座から同都港区芝五丁目二五番一一号所在の株式会社富士銀行三田支店の全日本運輸一般労働組合東京地区生コン支部猪浦潔名義の普通預金口座に一三〇〇万円を振込み入金させ、もつて、同金額相当の財産上不法の利益を得たものである。

第二部証拠の標目《省略》

第三部法令の適用

被告人三名の判示所為はいずれも刑法六〇条、二四九条二項に該当するところ、その各所定刑期の範囲内で被告人三名をそれぞれ懲役二年に処し、いずれも同法二一条を適用して、被告人三名に対し未決勾留日数のうち各一〇〇日をそれぞれその刑に算入し、情状によりいずれも同法二五条一項を適用して、この裁判確定の日から被告人三名に対し各四年間それぞれの刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条によりこれを全部被告人三名に連帯して負担させることとする。

第四部弁護人らの主張等に対する判断

第一  事実関係(証拠説明)

一弁護人らは、本件事実関係について、(1)運輸一般東京生コン支部は、昭和五六年一二月四日以降日立セメントとの交渉を重ね、昭和五七年二月四日日立セメントの交渉担当者である岸川係長の方から金銭解決の提案がなされて、日立セメントが運輸一般東京生コン支部に八〇〇万円支払うという合意が成立したところ、その後堀内弁護士の介入によりいつたん交渉が決裂するような形になつたため、運輸一般東京生コン支部としては、従前の交渉経過を突如一切無視したと受け取れる日立セメント側の不当な態度に抗議するとともに、日立セメントに反省を求めるべく、日立コンクリートの三工場に抗議・宣伝行動を行なつたものであつて、他にいかなる目的をも有しないものであり、(2)日立セメントが運輸一般東京生コン支部に対し一三〇〇万円を支払うに至つたのは、日立コンクリートの三工場に対する三日間の抗議・宣伝行動を経たのち成立した最終合意に基づいてなされたものであるところ、右最終合意は、既に右二月四日の段階において成立していた金銭解決の合意の延長線上にあるものであつて、堀内弁護士の介入によりいつたん交渉が決裂したような形となつた結果、運輸一般東京生コン支部としても三日間の抗議・宣伝行動を行なわざるを得なくなり、そのため動員費その他相当の費用の支出を余儀なくされたことから、当初の合意額が増額されたものであつて、本件金員の交付は、何ら脅迫・畏怖に基づくものではなく、日立セメントにおいて横山産業を席につけて解決するということをなしえなかった自責感から出たもので、強制されたものではなく、自由な意思決定に基づくものであり、(3)被告人らにおいて、日立セメントを脅迫して金員を得ようと意図したことも、またこれを謀議した事実もないのであり、結局被告人らには日立セメントから金員を喝取する故意も、その旨共謀したこともなく、また恐喝の実行行為に該当する脅迫行為を行なつてはいないし、一三〇〇万円の振込み入金も畏怖したことによるものではないと主張している。

そこで、以下事実関係について若干の証拠説明を加えることとする。

二日立セメントと日立コンクリートとの関係及び両会社と横山産業との関係

<証拠>によれば、日立セメントと日立コンクリートとは、日立セメントが日立コンクリートに対し約四四パーセントの株式を保有しているといういわゆる親会社・子会社の関係にあつて、両会社の代表取締役がいずれも株木正郎及び株木やよであることや、日立コンクリートの本店が日立セメントの東京事務所と同じく東京都豊島区高田三丁目三一番五号所在のマルカブビル内に置かれていることなども認められ、一方、日立セメントと横山産業とは、日立セメントが横山産業に対し販売特約店(東信建材)を介してセメントを納入しているという一般の商取引関係にあるにすぎず、日立セメント及び日立コンクリートが横山産業との間で資本・人事構成上の関係はもとより、業務提携等の関係も一切持つていないことが明白である。

三横山分会の運輸一般東京生コン支部への加入脱退とこれに対する同支部の取組み

<証拠>及び内田貞夫ほか一九名作成の脱退届によれば、次の事実が認められる。すなわち、

1 昭和五六年一月、従来は企業内労働組合もなかつた横山産業(本店所在地は、東京都足立区伊興町前沼一二八〇番地)において、その従業員の間で組合結成の動きが生じ、右従業員らのうちに被告人猪浦を知つている者がいたこともあつて、同被告人に連絡をとつて来たことから、同月中旬ころより運輸一般東京生コン支部として被告人猪浦が中心となり、他の被告人二名も加わつてその者らのために学習会を開いたり組織化の指導にあたつたりし、同年三月二九日、運転手を中心とした二〇名が運輸一般東京生コン支部の分会の一つとして横山分会を結成するに至つたこと

2 横山分会の組合員となつた者らは、横山産業の使用者に対し、右結成の通告を行なうとともに、労働条件の改善等を内容とする要求書を提出し、その後、被告人志村、同猪浦らの指導を受けながら、横山産業の使用者らとの間で五回にわたり団体交渉を重ねるなどし、その間被告人ら自らも上部組織の代表者とその交渉の席に出たりしていたこと

3 ところが、使用者との間で協定など結ぶにも至つていなかつた同年六月六日、被告人三名らに何らの相談もなく、突然に横山分会の者らから分会全体として運輸一般東京生コン支部から脱退する旨の文書が被告人らの許に送られて来たこと

4 そのため、被告人らは、右脱退について不審の念を抱き、早速に運輸一般東京生コン支部の組合員らと手分けして右横山分会に加入していた者らの家を訪ねて脱退までの経過を問い質したりし、結局、右脱退が横山産業の使用者らの利益誘導によるもの、すなわち不当労働行為が行なわれたものという判断に達し、運輸一般東京生コン支部として横山産業に対し団体交渉を申し入れたが、横山産業がこれに応じなかつたため、同年九月中旬、都労委に対し同支部として不当労働行為の救済申立てをなしたこと

5 その後、被告人らは、同月二五日ころ、再度横山産業に対し、内容証明郵便で団体交渉を申し入れたが、これに対しても、同月三〇日ころ、同会社の代理人笠原克美弁護士名義で右申入れを拒否する回答を寄せて来たこと

6 更に、運輸一般東京生コン支部においては、同年一〇月七日に開かれた執行委員会で、横山問題について討議し、都労委における救済手続をすすめていくほか、横山産業のいわゆる背景資本に働きかけその影響力を行使させて、同支部と横山産業との交渉の接点を作らせるとともに、横山産業をして謝罪・原状回復・実損回復の三項目の要求を受けいれさせることにし、その働きかける相手としては横山産業にセメントを納入している日立セメント、住友セメント及び日本セメントの三社と決定し、右決定に基づき、同支部三役である被告人三名が中心となつて、同月二九日に日本セメントに対し右のような趣旨の申入れなどを行なつたこと

なお、その当時、被告人らにおいては、右セメント三社が横山産業に対しセメントを納入しているシェアの割合は、日本セメント五割、住友セメント三割、日立セメント二割であるという話を耳にしていたこと

7 次いで、運輸一般東京生コン支部においては、同年一一月一四日に開かれた執行委員会で、横山問題について再度討議した際、右一〇月七日の執行委員会で決定した謝罪・原状回復・実損回復の三項目の要求を再確認するとともに、右セメント三社に対しその影響力の行使を求めるためいわゆる「要請」を強化していくこととし、右セメント三社に対し「要請」を行なう日取りを同年一二月一日と予定したが、同年一一月三〇日に開かれた分会代表者会議において同年一二月四日と変更されたこと

が認められる。

四運輸一般東京生コン支部と日立セメントとの交渉経過

1 <証拠>によれば、次のような事実が明らかである。すなわち、

(一) 被告人植草及び同志村は、運輸一般東京生コン支部の組合員三名とともに、昭和五六年一二月四日午後三時ころ、東京都豊島区高田三丁目三一番五号所在のマルカブビル一階にある日立セメント東京事務所を訪れ、応対した山中次長及び上田所長代理に対し、横山産業の経営実態を説明するとともに、横山分会に加入していた者らが横山産業の使用者らの不当労働行為により運輸一般東京生コン支部を全員脱退したことを説明し、「横山産業という反社会的な企業に対しセメントを納入するのは道義的におかしい。日立セメントは横山産業に対するセメントの納入をやめるべきじやないか。日立セメントが横山産業に対して何らかの対応をして欲しい。日立セメントの回答を聞きたい」などと申し入れたが、上田所長代理らから即答できないという態度をとられたため、回答期限を同月九日とし、同日電話で回答するよう申し入れたこと

(二) 日立セメントにおいては、右一二月四日山中次長及び上田所長代理が右被告人両名らの申入れ内容を佐藤部長に報告し、その後佐藤部長が右申入れ内容を小口常務及び池上常務に、更に同七日ころ株木社長にも報告したところ、株木社長から会社としての窓口となる担当者を決めるように指示されたこと

(三) また、日立セメントにおいては、同月八日午前一〇時ころ、小口常務、池上常務、佐藤部長、同会社営業部次長志智之雄、山中次長及び上田所長代理らが出席して、対策会議を開き、今後横山問題に関し運輸一般東京生コン支部との対応にあたる担当者には、佐藤部長の指揮の下に、岸川係長及び入江係長をあてることにし、その後佐藤部長や岸川係長らを東京都内にある住友セメントの事務所に赴かせ、同会社津田人事部次長に話を聞くなどしたものの、同会社としてもその対応がまだ決まつていないということであつたので、同日午後六時ころ、再び小口常務らが出席して対策会議を開き、同月九日に予定されている回答はしないこととし、当時、東京都港区港南四丁目六番五七号に所在していた運輸一般東京生コン支部の事務所に対し、同日は何ら電話などしなかつたこと(なお、東京生コン支部事務所の所在地については、押収してある覚書((佐藤弘道ほか一名作成のもの))一通((前記押号の六))及び確認書((佐藤弘道ほか一名作成のもの))一通((同押号の七))にも右所在表示がある。)

(四) 同月一一日及び一二日に開かれた運輸一般全国セメント生コン部会の幹事会において、横山問題が議論され、「セメント三社に対し、横山産業の社長を説得してもらい、横山問題を解決してもらうよう要請し、翌年一月二九日の右幹事会までに横山問題の解決を図つていく」などということが決議され、また、横山問題解決の責任の主体は運輸一般東京生コン支部であるものの、右全国セメント生コン部会としても同支部を援助、指導していくことになつたこと

(五) 運輸一般東京生コン支部においては、昭和五六年一二月一四日に開かれた執行委員会で、前記セメント三社に対する申入れ内容について、各社を訪れた担当社から報告がなされ、右(四)記載のような全国セメント生コン部会の幹事会の決議を受けて、翌年一月二九日に開かれる幹事会までに横山問題についても解決していくことを申し合わせるとともに、右セメント三社に対する具体的な交渉を専従者である被告人猪浦に一任することにしたこと

(六) 昭和五六年一二月一七日、運輸一般関西地区生コン支部副委員長工藤誠において、前記日立セメント東京事務所に電話し、応対に出た山中次長に対し、「横山問題に関し、特に住友セメントは努力するという態度を表明しているので、日立セメントとしても横山問題の解決に努力をしてもらいたい。一二月二三日ころまでに返事をいただきたい」という趣旨の申入れをしたこと

被告人猪浦においても、右工藤から右のような電話を日立セメントにしたことを告げられ、また、被告人植草も被告人猪浦から右電話内容を聞かされていたこと

(七) 山中次長は、右のような電話のあつたことを佐藤部長、岸川係長及び入江係長に報告ないし連絡し、更に佐藤部長において、同内容を小口常務、池上常務及び株木社長に報告したこと

(八) 佐藤部長は、右一二月一七日、日本セメントに電話して同会社江見人事部次長から様子を聞いたり、更に翌一八日、住友セメントの津田人事部次長からも電話で「運輸一般東京生コン支部から、覚書を作ること、謝罪文を書くこと、謝罪金を出すこと、脱退した組合員を復帰させることなどを要求され、社内で検討している」旨の話を聞くなどして、結局両会社とも具体的な対応をしていないものと感じ、このことを小口常務、池上常務及び株木社長に報告したこと

(九) その後、日立セメントにおいては、小口常務、池上常務、佐藤部長、岸川係長、入江係長らが右工藤からの電話による申入れについて協議した結果、運輸一般東京生コン支部に対しては「同支部からの話は一応横山産業に伝える」旨回答することに決めたこと

(一〇) 同月二三日、被告人猪浦は、前記東京生コン支部事務所から前記日立セメント東京事務所に電話し、応対した岸川係長に横山問題についての回答を求めたが、岸川係長においては日立セメントとしての具体的な回答を示さなかったため、同係長に対し同月二六日までに回答するよう求めたこと

(一一) 同月二六日、岸川係長においては、右東京生コン支部事務所に電話して、被告人猪浦に対し、日立セメントとしての対応策が決まっていないので翌年一月一〇日ころまで回答を延期したいという趣旨の申入れをしたが、同被告人においても一応は右申入れを受け入れる趣旨の答をしたこと

(一二) 昭和五七年一月九日、日立セメントにおいては、小口常務、池上常務、佐藤部長、岸川係長及び入江係長が出席し、前日に日本セメントを訪れた佐藤部長及び岸川係長の話をもとにして協議したところ、結局住友セメントもまだ金銭解決していないようだし、日本セメントも金銭解決しない意向なので、両会社の対応を見るため、運輸一般東京生コン支部に対する回答を更に延期することに決定したこと

(一三) 同日、岸川係長においては、右(一二)記載のような協議に基づき、前記東京生コン支部事務所に電話し、被告人猪浦に対し同月一八日まで回答を延期してもらいたい旨申し入れ、同被告人においても、「他の二社とは解決の方向で進んでいる」などと述べたりはしたものの、右申入れについてはこれを了承したこと

(一四) その後、日立セメントにおいては、小口常務、池上常務、佐藤部長、岸川係長、入江係長らの間で何回か話合いがなされたが、同月一八日までには結論が出なかつたこと

(一五) 運輸一般東京生コン支部においては、同月一四日、被告人三名ら三役が出席して開かれた執行委員会で、前記工藤が住友セメントの担当者と交渉した結果として、昭和五六年一二月二八日に同会社との間で、(イ)横山産業が同支部に対し一定の解決金を支払う、(ロ)横山産業が遺憾の意を表する、(ハ)同支部が労働委員会に対し行なつた救済申立てをすみやかに取り下げるなどという内容の覚書を取り交わすことができた旨の報告がされたこと

また、右執行委員会において、右住友セメントとの交渉によつては解決しなかつた原状回復問題について討議などした結果、日立セメントに関し、同会社が住友セメントや日本セメントよりも横山産業との取引関係の古いこと、しかも日立セメントが横山産業に対するセメント納入を独占していた時期のあること、また現在も横山産業のセメントサイロを所有し、横山産業にそれを使わせていることなどの報告があり、更に横山産業に対し技術指導をしたり、仕事先を紹介したりしているなどという見解も述べられ、このような係り合いが認められるならば日立セメントが横山産業に対し最も強く影響力を及ぼしうる立場にあるに違いないという認識に達し、結論的に横山産業に横山分会の再建を認めさせるため、日立セメントにその影響力を行使させようということになり、そしてその趣旨で、運輸一般東京生コン支部として、いわゆる三役である被告人三名を中心に組合員らが昭和五七年一月一八日に回答をもらうため日立セメントの事務所を訪れることを決定したこと

(一六) 被告人三名は、右一月一八日午前一〇時ころ、運輸一般東京生コン支部の組合員七名とともに前記日立セメント東京事務所を訪れ、応対した岸川係長及び入江係長に対し、被告人植草において「今日は回答をもらいに来た」旨申し述べたこと、そして岸川係長において、まだ日立セメントとしての結論が出ていない旨伝えたこと、その際、被告人猪浦において、住友セメントとの間では解決した旨述べて、岸川係長及び入江係長に右住友セメントとの間で作つた覚書のコピー一枚(二通を一枚にコピーしたもの)を見せたこと、右覚書には次のような記載があつたこと、すなわち、「横山産業株式会社(以下甲という)と全日本運輸一般労働組合東京地区生コン支部(以下乙という)とは、甲乙間の一連の紛争について別紙覚書の通り解決し、ここに覚書を締結するにあたり下記の通り甲は乙に対し解決金を支払うものとする。 記 甲は本紛争の円満解決のため一切の解決金として別紙領収証記載の金額を昭和五六年一二月二八日までに乙に対し支払うものとする。」「横山産業株式会社(以下甲という)と全日本運輸一般労働組合東京地区生コン支部(以下乙という)とは、甲乙間の一連の紛争について交渉の結果、下記の通り解決をみたのでここに本覚書を締結する。 記 1、甲は、甲乙間の一連の紛争に関し、ここに遺憾の意を表明する。2、本覚書締結により、乙は労働委員会に対し行なつた救済申立てについては本覚書締結後すみやかに取り下げるものとする。」などというものであること、そして右覚書の当事者欄には、「甲 横山産業株式会社代表取締役横山靖之」と「乙 全日本運輸一般労働組合東京地区生コン支部執行委員長植草泰二」の各記名押印があつたこと

(一七) 同月一九日、岸川係長及び入江係長が横山産業に赴き、同会社の高井部長及び山本課長に会い、右覚書の真偽について確かめたところ、両名からその押印を否定されたものの、結局明確な結論を教えてもらえなかつたこと

(一八) 被告人猪浦は、同月二五日、前記日立セメント東京事務所に電話して、岸川係長に対し「同月二七日に回答をもらいに行く」旨伝えたこと

(一九) 他方、日立セメントでは、同月二五日及び二六日、小口常務、池上常務、佐藤部長、岸川係長、入江係長らが今後の対応を協議した結果、横山産業の前記覚書における判子が本当に押されたものかどうか疑問を残しながらも金銭解決もやむを得ないという結論に達し、金銭解決の腹づもりで今後の対応をしようという結論に達したこと、しかしその際、具体的な金額についてはまだ協議するに至らなかつたこと

(二〇) 被告人志村及び同猪浦は、同月二七日、前記日立セメント東京事務所を訪れ、岸川係長及び入江係長と会つて回答を求めたが、岸川係長から「会社の方針としては、対応することに決まつた」旨、更に「住友セメントへ行つて来たけれども、真相がつかめなかつた」旨の答を得たにとどまつたことから、岸川係長らに対し、強い態度で、横山問題を解決するためには日立セメントが横山産業に働きかけて運輸一般東京生コン支部との話合いのテーブルを作つて欲しいという趣旨の要求を繰り返したこと、なおその際岸川係長らにおいては、被告人猪浦から前記覚書のコピーを借り受け、更にそのコピーを作つたこと

(二一) 同月二八日、岸川係長及び入江係長が横山産業に赴き、同会社社長横山靖之に会い、運輸一般東京生コン支部と話し合つて欲しい旨申し入れたが、同社長からこれを断わられたこと

(二二) 被告人猪浦は、同年二月四日午前一〇時すぎころ、前記東京生コン支部事務所から前記日立セメント東京事務所に電話し、岸川係長に対し、日本セメントとは一八〇〇万円で解決した旨伝えるとともに、横山産業をテーブルにつけさせることを求める趣旨の話を始めたところ、岸川係長から、「横山産業とコンタクトすることは難しい。何とか解決して欲しい」という趣旨のことを強く言われ、結局、「あなたのところで解決するとすれば、一〇〇〇万円というのが最低でも話をまとめる額になるんじやないでしようか」などと岸川係長に話したこと、それに対し岸川係長は、金銭解決によることを受けいれる態度を示し、両者の間で、覚書の当事者を誰にするかを検討することになつたこと

(二三) 被告人猪浦は、同日午後一時半ころ、再び右東京生コン支部事務所から岸川係長に電話して、覚書を作ることについて話し合い、当事者を日立セメントと運輸一般東京生コン支部として横山産業を除外することとし、また、岸川係長の申出により、覚書の草案作成に一〇日ほど時間をおくことを了承し合つたこと、そして、岸川係長は、右内容を佐藤部長に報告したこと

(二四) その後、日立セメントにおいては、佐藤部長、岸川係長らが協議した結果、(イ)覚書の草案作成、(ロ)解決金の金額の減額、(ハ)横山産業側との交渉の三点を堀内弁護士に依頼することを決め、同月九日、佐藤部長、岸川係長及び入江係長が堀内弁護士を都内の同弁護士事務所に訪ね、運輸一般東京生コン支部とのこれまでの経緯について説明するとともに、右(イ)ないし(ハ)の三点について依頼したこと、その際、日立セメントの方針としては、金銭解決もやむを得ないと考えている旨伝えて、できるだけ話し合つて欲しい旨告げたこと

(二五) 被告人猪浦は、同月一二日ころ、前記日立セメント東京事務所にかけた電話で、岸川係長に一〇〇〇万円の支払方について確認を求めたところ、かえつて岸川係長から減額を強く求められたため、結局これを受けいれた形で、解決金を八〇〇万円としようと申し入れたこと、そこで、岸川係長は、右申入れを佐藤部長に報告し、更に佐藤部長において右内容を小口常務及び池上常務に報告したこと

(二六) ところで、被告人猪浦は、同月一五日、運輸一般東京生コン支部の執行委員会で、「横山分会組合員の原状回復は難しく、金銭解決にならざるを得ない」旨報告したこと

右執行委員会には被告人志村も出席していたが、被告人植草は出席していなかつたこと

(二七) 被告人猪浦は、同月一六日午前、岸川係長に電話し、解決金の支払について最終的な協定案作りを早くやつて欲しいという趣旨の話をしたところ、岸川係長から社内にもう少し問題が残つているのでしばらく待つて欲しいという趣旨の返答があつたので、また後で電話する旨告げてその場の話を終わらせたこと

(二八) その直後、岸川係長においては、被告人猪浦からの右電話について佐藤部長に報告したところ、同部長から覚書を作成する段階に来たので、堀内弁護士を呼ぶように指示を受けたこと

(二九) 被告人らのうちの一名が、同日午後五時ころ、東京駅八重洲口前所在の国際観光ホテルから前記日立セメント東京事務所に電話し、応対に出た岸川係長に対し、同ホテルまで来て欲しい旨申し向けたところ、岸川係長から社内で検討中である旨の返答があり、更に同係長と電話をかわつた堀内弁護士から「どういう性格の金だ。金が欲しかつたら請求書を持つて来い。出るところへ出ようか。恐喝でないか」などと強い口調で話し始められたため、右被告人らのうち電話で応対にあたつていた者においては「恐喝とは何だ」などと反発し、同弁護士に対し岸川係長に電話を交替するように求め、再び電話に出た岸川係長に対し、「話が違うじやないか。お宅の会社は最初からやり直しするのか」などと申し向けるなどし、双方で言い争いになり、互いに交渉が中断したと感じるような形でその電話を終えたこと

などの事実が客観的にもほぼ明らかである。

2 なお、右認定のような経過を辿つた右二月一六日までの運輸一般東京生コン支部と日立セメントとの間の具体的な交渉状況等に関し、証拠上若干食い違いのある点について多少細かい検討を加えるに、次のような事実が肯認できる。

(一) 昭和五六年一二月四日における交渉について(前記1(一)の事実に関し)

前記1(一)の認定事実によれば、その来訪の目的にも照らし、被告人植草らが日立セメントに対し求めた対応措置についても具体的な内容を含んでいたであろうことは十分推認できる。もつとも、その内容はいわゆる原状回復が中心で、金銭解決は表面に出ていなかつたものと窺われる。すなわち、山中次長は、第五回公判調書中の証人山中敬三の供述部分において、被告人植草らは、その身分を名乗り、来訪の目的を告げたうえ、「横山産業という反社会的な企業に対しセメントを納入するのは道義的におかしい。日立セメントは横山産業に対するセメントの納入をやめるべきじやないか。日立セメントが横山産業に対して何らかの対応をして欲しい。日立セメントの回答を聞きたい」などと言つた旨供述している。山中次長の右証言には、何ら不合理、不自然な点はなく、前記1(一)ないし(二九)認定の事実の流れとも予ママ盾しないし、また同人が右証言当時日立セメントを退社し、利害関係のない第三者的立場にあつたこと、被告人植草らと直接面談したのがそのとき一度だけであることからして他の日時における言葉と混同するおそれもないと窺われることなどに照らすと、右証言の信用性は高いものと認められる。一方、被告人植草は、第一七回公判調書中の同被告人の供述部分などで、山中次長らに対し、日立セメントが横山問題に関し調査することを求めたうえ、「日立セメントが、いわゆる原状回復と不当労働行為の謝罪の問題について、横山産業と運輸一般東京生コン支部との交渉のテーブルを作つて欲しい旨申し入れた。しかし、いわゆる実損回復のことは話に出していない」旨供述している。してみれば、右各供述を総合して考えると、結局、右一二月四日の時点では被告人らから直接的に金銭と結びつくような要求はなかつたものと認められ、実損回復などという言葉もその場では使われなかつたものと窺われる。

(二) 昭和五六年一二月二三日における電話について(前記1(一〇)の事実に関し)

前記1(一)ないし(九)認定のような交渉の流れに照らし、右一二月二三日の電話において被告人猪浦としては、日立セメントの回答が延び延びになつていたことから、岸川係長に対し、日立セメントとしての態度をはつきりさせるように求めたであろうことは十分推認できる。

もつとも、この点、被告人猪浦が右電話で具体的にどのようなことを話したかについては、右両名の供述間に食い違いがある。まず、岸川係長は、第六回公判調書中の証人岸川幸雄の供述部分において、被告人猪浦から、「横山産業のような悪い会社に二〇パーセントのセメントを入れている日立セメントはそれなりの社会的、道義的責任をとるべきだ。住友セメントに対し一億円を要求し、不買運動やピケなどで妨害すると話したところ、一〇〇〇万円に若干の上積みで解決することになつた。日立セメントは二〇パーセント分の責任をもつてくれ。それが守れないなら、住友にシェアを渡したらどうか。お宅の会社が今のような回答でくるならば、うちの方にもそれなりの処断がある。セメントを横山産業に入れさせないようにする」などと言われた旨供述している。これに対し、被告人猪浦は、第二〇回公判調書中の同被告人の供述部分において、右一二月二三日の電話では岸川係長の右証言中で述べるような内容のことは一切述べていないと供述し、かつ、「二三日の時点では住友セメントと工藤誠との折衝内容については全く知らなかつた」旨供述している。

ところで、前記1(五)認定のとおり、被告人猪浦は、昭和五六年一二月一四日の執行委員会においてセメント三社に対する具体的な交渉を一任されたことが認められるところ、第一八回公判調書中の被告人植草の供述部分、第一八回公判調書中の被告人志村の供述部分、第二〇回公判調書中の被告人猪浦の供述部分及び第一四回公判調書中の証人工藤誠の供述部分によれば、被告人猪浦は、同月一七日ころ、被告人志村及び工藤誠とともに住友セメントを訪ね、謝罪・原状回復・実損回復の三項目についていわゆる「要請」をしたこと、その後の住友セメントとの交渉は大阪で行なわれ、運輸一般関西地区生コン支部副委員長工藤誠がこれにあたり、同月二〇日ころ、住友セメントの関谷常務から年内に解決したい旨の申入れが右工藤に対しなされたこと、そして、同月二四、五日ころ、関谷常務と右工藤との間で解決に伴う具体的な金額の打合せがなされ、解決金として一二〇〇万円で合意に達し、運輸一般東京生コン支部にもその旨連絡されたこと、また、被告人猪浦自身、日立セメントのシェアが二〇パーセントであることを知つていたことが認められる。したがつて、右認定の各事実に加え、前記1(一)ないし(九)認定のような交渉経過を合わせ考えると、被告人猪浦が右一二月二三日の電話において日立セメントとしての責任を前面に出し、また横山産業に対する日立セメントとしてのシェアの割合二〇パーセントの責任という形で、岸川係長に対し強く回答を迫つたであろうことは十分推認でき、その意味で岸川係長の右証言の信用性は全体的にみて高いものと認められ、右電話で被告人猪浦の話した内容はほぼ岸川係長が右証言において供述するようなものであつたと認定できるが、ただ、前記認定のように住友セメントとの間の金銭的合意の成立が同月二四、五日ころであることに照らし、右二三日の電話で被告人猪浦から住友セメントの例を出し一〇〇〇万円の金額の提示があつたとする点についてはなお若干の疑念が残り、この点まで認定することはできない。

(三) 昭和五六年一二月二六日における電話について(前記1(二)の事実に関し)

前記1(一)ないし(一〇)認定の交渉経過に照らし、被告人猪浦が右一二月二六日の電話に際し、岸川係長の回答延期の申入れに対し快く了承しなかつたであろうことは十分推認可能である。そして、岸川係長は、第六回公判調書中の証人岸川幸雄の供述部分において、被告人猪浦から、「住友セメントは二八日に調印する運びになつた。日本セメントも金銭解決の方向に向かつている。結論をつけなければ、お宅の会社は大変なことになる」などと言われた旨供述している。この点、被告人猪浦は、第二〇回公判調書中の同被告人の供述部分において、岸川係長の右証言をほぼ全面的に否定し、「二六日の時点では、住友セメントとの調印日はまだ決まつていなかつた」旨供述しており、確かに、第一四回公判調書中の証人工藤誠の供述部分によれば、住友セメントとの調印日が決まつたのは二七日とも窺われるので、被告人猪浦が果たして二八日という日にちを岸川係長に言つたかどうかについては疑問が残る。しかし、その点はさておき、本件一連の交渉経過に照らし、岸川係長の右証言は右電話の内容に関してもおおむね全体的に信用でき、結局、右証言により、右一二月二六日の電話において被告人猪浦が「結論をつけなければお宅の会社は大変なことになる」と受け取れるような発言をしたことは認定できる。

(四) 昭和五七年一月一八日における交渉について(前記1(一六)の事実に関し)

前記1(一)ないし(一五)認定のような本件の経過に照らし、被告人らが右一月一八日の交渉に際し日立セメントに対し回答を強く求めたであろうことは十分推認できる。そして、前記1冒頭挙示の各証拠によれば、運輸一般東京生コン支部においては、セメント三社の協力を求めると言いながら、各社個別に解決をすすめており、しかも住友セメントとの間では昭和五六年一二月二八日に覚書が取り交わされていながら、その事実さえ秘匿して日立セメントとの交渉をすすめていたこと、運輸一般東京生コン支部としては謝罪・原状回復・実損回復の三項目があくまでも「要請」課題であつたこと、被告人猪浦において住友セメントとの間で取り交わした覚書のコピーを岸川係長らに見せていることなどが明らかであり、これらの状況に加え、第六回公判調書中の証人岸川幸雄の供述部分中の「右一月一八日に被告人三名が日立セメント東京事務所を訪れて来た際、被告人猪浦が岸川係長らに『もつと誠意を示せ。お宅の会社がそんな会社だと、お宅の会社自体大変なことになる。お宅の粉を止めるぞ』などと言つた」旨の供述を合わせ考えれば、その際の被告人三名とりわけ被告人猪浦の交渉態度が岸川係長の述べるようなかなり強硬なものであつたことも十分肯認できる。この点、被告人猪浦は、岸川係長の右証言内容が誤りであるとし、「誰もそのようなことは言つていない」旨の供述をしているが、岸川係長の右証言の信用性の高いことに照らし、被告人猪浦の供述はこれを信用することができない。

(五) 昭和五七年二月四日午前における電話について(前記1(二二)の事実に関し)

右二月四日午前における電話の状況に関し、被告人猪浦は、第二〇回公判調書中の同被告人の供述部分において、「岸川係長から横山産業とコンタクトするのは難しい旨言われ、金銭解決を求められたので、『あなたのところで解決するとすれば、一〇〇〇万円というのが最低でも話をまとめる額になるんじやないでしようか』と考えを明らかにしたところ、岸川係長が一分くらいして八〇〇万円くらいでどうかと申し出た。それで私は一つこの辺でまとめますかと言つて、草案作成の相談をした」旨供述する。

しかし、この点、岸川係長は、第六回公判調書中の証人岸川幸雄の供述部分においては「被告人猪浦から電話で『もしコンタクトできるならお宅と運輸一般との間でやろう。一〇〇〇万円出してくれ』『覚書はお宅で出してくれ』という趣旨のことを言われた」旨述べるにとどまり、右証言中で岸川係長の方から八〇〇万円という金額の申出をしたか否かについては一切触れていない。更に、第六回及び第七回各公判調書中の証人岸川幸雄の供述部分、第八回公判調書中の証人佐藤弘道の供述部分及び第一一回公判調書中の証人株木正郎の供述部分並びに前記1(一)ないし(二四)認定のような運輸一般東京生コン支部と日立セメントとの間の交渉の経過を総合すれば、右二月四日の電話の時点では、日立セメントにおいては運輸一般東京生コン支部との間の解決金額について具体的な協議をなすに至らず、とりわけ同支部に提示すべき金額など決定していなかつたと認められるから、右のような状況に照らし、岸川係長が被告人猪浦との右電話において、金銭解決によりたいという態度を示すことはあつても、上司に何ら相談することなしに、八〇〇万円という具体的な金額を提示することはとうていありえないことというべきである。したがつて結局、右各証拠を総合すれば、右電話において被告人猪浦と岸川係長との間で一〇〇〇万円という金額が話に出て来たことは明らかであるが、八〇〇万円で被告人猪浦と岸川係長との間で支払の合意が成立したと認めることはできない。

(六) 昭和五七年二月一二日ころにおける電話について(前記1(二五)の事実に関し)

右二月一二日ころの電話の応対に関し、岸川係長は、第六回公判調書中の証人岸川幸雄の供述部分において、「被告人猪浦から、『一〇〇〇万円の用意できるか』と聞かれたので、『上司と相談中である。横山産業をテーブルにつかせるよう努力している』と言つたところ、『横山産業が入れば情状酌量の余地がある』と言い、私が『一〇〇〇万円を値引いてくれるか』と質問すると、『横山産業が入れば八〇〇万円に値引く。それで手打ちだ。覚書を作つて、金を持つて組合に来てくれ』と言われた」旨供述し、一方被告人猪浦は、第二〇回公判調書中の同被告人の供述部分において、「話の経過からも、一〇〇〇万円を用意できるかと言うはずがない」旨供述する。

この点、前記1(一六)認定の住友セメントとの間の覚書の記載からも窺われるように運輸一般東京生コン支部としては、住友セメントとの金銭解決でも明らかなように、あくまでも、横山問題についてはすべて横山産業との間における解決という形式をとりたかつたものと認められ、日立セメントとの間で取り交わす覚書の当事者としても横山産業を入れることを強く意識したであろうことは合理的に推認できる。その意味で、前記1(一)ないし(二四)認定のような本件の経過に右2(一)ないし(五)の具体的状況を合わせ考えると、岸川係長の右証言中の「横山産業が入れば八〇〇万円に値引く」と言われた旨の供述部分はまさに実体に即し、結局、右二月一二日ころの電話に関する岸川係長の前記証言はほぼ全面的に信用できるというべきである。

(七) 昭和五七年二月一六日午後五時ころにおける電話について(前記1(二九)の事実に関し)

(1) まず、右二月一六日午後五時ころ前記日立セメント東京事務所にかかつて来た電話で、岸川係長や堀内弁護士が被告人志村又は同猪浦と話をしたこと自体は、右の者らのいずれの供述によつても明らかであるが、右被告人両名のうちいずれであるかについては、被告人志村は、当公判廷における供述並びに第一八回及び第二一回各公判調書中の同被告人の供述部分において、また被告人猪浦は、第二〇回公判調書中の同被告人の供述部分において、そのとき電話したのは被告人志村である旨それぞれ供述し、一方、岸川係長は、第六回公判調書中の証人岸川幸雄の供述部分において、また堀内弁護士は、第一〇回公判調書中の証人堀内稔久の供述部分において、電話した運輸一般東京生コン支部の相手は被告人猪浦である旨それぞれ供述し、この点食い違いがある。

そこで検討するのに、右各証拠を総合するに、被告大志村にしても被告人猪浦にしてもあえて虚偽の供述をしてまで、電話の主を被告人志村としなければならない理由も必要性も見出せず、一方、岸川係長も堀内弁護士も、電話で被告人猪浦と被告人志村とを明確に区別できるほど被告人らと親しい間柄になく、岸川係長においてはその日の午前中に被告人猪浦と電話して同被告人からまた後で電話する旨告げられていることもあつて、岸川係長自身先入観を抱き、右午後五時ころの電話の主を被告人猪浦と思い込んだとも考えられ、なお、右各供述によれば、右電話に際し、被告人らの方で自らの氏名を名乗つてはいないと認められることにも照らし、結局、自ら電話したと名乗る被告人志村らの述べるとおり、被告人志村が岸川係長や堀内弁護士と電話の応酬をしたと認めるのが相当である。

(2) 次に、右二月一六日午後五時ころ、運輸一般東京生コン支部と日立セメントの交渉が中断したと感じるような形でその場の電話を終わつたことは前記1(二九)認定のとおりであるところ、それが一時的な交渉の中断にすぎないのか、それとも交渉が打切られた状態に達するに至つたのかについて検討を加える。

被告人猪浦が、翌二月一七日午前七時ころ当日の行動に参加する分会代表者らに対し、日立セメントから話を一方的に破棄されたので、日立コンクリート戸田橋工場へ行く旨告げたこと、更に同日午前九時ころ前記日立セメント東京事務所に電話し、応対に出た斉藤栄昭に対し「岸川係長に伝えてくれ。こちらは対決する方針に決定した。お宅のサービスステーション及び生コン工場に何らかの行動を起こす」旨申し向けたこと、そして運輸一般東京生コン支部の者約三〇名ないし約五〇名が同月一七日から一九日までの間、日立コンクリートの三工場において出荷妨害等の示威行為を行なつたことは後記五2ないし4認定のとおりであるところ、第二一回公判調書中の被告人猪浦の供述部分並びに第六回及び第七回各公判調書中の証人岸川幸雄の供述部分によれば、日立セメント側からは、右二月一六日午後五時ころの電話後、同月一九日午後八時ころ岸川係長が被告人猪浦に電話するまでの間、運輸一般東京生コン支部の者に対し直接又は電話等によつても一切の連絡をしていないこと、また、同支部側からも、被告人猪浦の右斉藤に対する電話後、右一九日の岸川係長からの電話までの間、日立セメントの者に対し直接又は電話等によつても一切の連絡をしていないことが認められる。

右認定の各事実に照らすと、右二月一六日午後五時ころ被告人志村と岸川係長や堀内弁護士との電話が終わつた時点においては、運輸一般東京生コン支部及び日立セメントの双方とも、そのまま従前の交渉を継続し、話合いによつて金銭解決を図ろうという意思はなくなつたものと認められ、したがつて、右時点で双方の交渉が打切られた状態に達するに至つたとみるのが正当である。

五運輸一般東京生コン支部の昭和五七年二月一七日ないし同月一九日における日立コンクリートの三工場への行動

1 日立コンクリートの三工場へ行くに至つた経緯等

<証拠>によれば、次のような事実が認められる。すなわち、

(一) 被告人志村及び同猪浦は、昭和五七年二月一六日夕方、前記国際観光ホテルにおいて、被告人志村が堀内弁護士らとの電話の終わつた直後被告人猪浦及び前記工藤誠に堀内弁護士及び岸川係長との電話のやりとりについて報告し、堀内弁護士から恐喝呼ばわりをされたことや交渉が打切り状態になつたことなどを告げたことから、右被告人両名が右工藤ともども、相談した結果、翌一七日に日立セメントに対し、いわゆる「宣伝行動」を行なうことを決定するに至つたこと

(二) 被告人志村、同猪浦らは、「宣伝行動」を行なう場所として、日立セメントの生コンクリート製造部門とみていた日立コンクリートの生コンクリート製造工場が適当と考え、折から、同月一五日の運輸一般東京生コン支部の執行委員会において右一七日には三菱南埼玉分会のストライキ支援に行くことを決定していたので、右三菱南埼玉分会の職場に近い日立コンクリート戸田橋工場でこれを行なうことにしたこと

(三) 被告人猪浦は、同月一七日午前七時ころ、三菱南埼玉分会のストライキ支援のために前記東京生コン支部事務所に集まつた各分会代表者らに対し、「日立セメントがまとまりそうな話を一方的に破棄して来たので、その不当性を宣伝するため戸田橋工場へ行く」旨告げたこと

(四) 被告人猪浦は、同日午前九時ころ、前記日立セメント東京事務所に岸川係長あて電話し、応対に出た経理部資金課職員の斉藤栄昭から岸川係長が電話中である旨告げられたため、右斉藤に対し、被告人らが被告人らの言う「宣伝行動」をこれから行なおうとしていることを告げたこと

などは、合理的な疑いを越えてこれを認定できる。

なお、右(四)認定の事実に関し、その具体的な電話内容について、被告人猪浦と斉藤栄昭の供述に若干の食い違いがみられる。すなわち、斉藤栄昭は、第九回公判調書中の証人斉藤栄昭の供述部分において、被告人猪浦から岸川係長あてに電話があつた際、岸川係長が電話中である旨告げたところ、被告人猪浦は、「岸川係長に伝えてくれ。こちらは対決する方針に決定した。お宅のサービスステーション及び生コン工場に何らかの行動を起こす」旨述べたと供述する。これに対し、被告人猪浦は、第二一回公判調書中の同被告人の供述部分において、「こちらは対決する方針に決定した。何らかの行動を起こす」などということは言つていない旨供述している。右両供述を仔細に検討するに、まず右斉藤の証言については、同人が本件交渉について全般的な係り合いを持つていた者ではなく、たまたま右二月一七日の電話を取次ごうとしただけにすぎなかつたことに照らし、右証言の内容にとくに虚構の部分があることは窺われない。また被告人猪浦も同被告人の右供述において、一方で右斉藤の証言で述べられているような表現を右電話で用いたことは否定しているものの、他方では「『理不尽な形で交渉を打切られたので、日立セメントがこういうひどい仕打ちをしたことに対して広く社会的にアピールする必要がある。そのための行動を起こすことになつた』などと右電話で話した」などと供述しており、結局、右電話で右斉藤に対し、被告人らがこれから示威行動を起こそうとしていると受け取れるような言い方をしたこと自体は自認しているとみることができる。すなわち、被告人猪浦の右供述に照らしても、右電話のやりとりは、ほぼ右斉藤が右証言において述べるとおりであつたと認定することができる。

2 昭和五七年二月一七日における日立コンクリート戸田橋工場への行動

(一) 各被告人の役割等

被告人志村及び同猪浦において、運輸一般東京生コン支部の者が右戸田橋工場へ行くことを決定したことは前記1(一)、(二)認定のとおりであるところ、第一七回公判調書中の被告人植草の供述部分、第一八回公判調書中の被告人志村の供述部分、第二〇回及び第二一回各公判調書中の被告人猪浦の供述部分によれば、被告人植草は右決定には関与していないこと、また被告人志村は当日の実際の行動にも参加したが、被告人植草及び同猪浦は参加していなかつたことが認められる。

(二) 具体的状況

<証拠>によれば、

(1) 被告人志村及び運輸一般東京生コン支部の組合員約三〇名の者は、昭和五七年二月一七日午後一時三六分ころ、埼玉県川口市緑町九番一八号所在の日立コンクリート戸田橋工場に赴き、同工場の従業員らに対し、運輸一般東京生コン支部の宣伝カー(以下「宣伝カー」という。)の拡声装置を用いての演説、宣伝用ビラの配付などのいわゆる「宣伝行動」を開始したこと

(2) 右組合員の一部の者は、右工場構内に立ち入り、右従業員らに宣伝用ビラを手渡したり、話しかけるなどし、また待機していたミキサー車のステップに足をかけたり、ドアに手をかけるなどして、運転台に座る運転手らにビラを手渡したり、話しかけたりしたこと

(3) ミキサー車一台(八五四号車)が生コンクリートの積載を完了し、同日午後一時四〇分ころ、出荷するため、右工場バッチャープラントの所(パッチャープラントの出入口から公道までの距離が約二〇メートル)から発進し始めたが、結局同車が出構したのは同日午後二時六分ころであつたこと

(4) その後、ミキサー車一台(一五三号車)が同日午後二時一五分ころ、生コンクリートを積載するため、右工場バッチャープラントのホッパー下に後退して入つたが、右ホッパー下に入るのに一五分ないし二〇分かかつたこと

(5) 右一五三号車は、同日午後二時四〇分ころ、生コンクリートの積載を完了し、同日午後二時五〇分ころ、出荷するため、右バッチャープラントの所から発進し始めたが、結局同車が出構したのは同日午後二時五五分ころであつたこと

(6) 右工場の出入口と公道との境には門などがなく、立入禁止の立札が立つているにすぎなかつたこと

(7) 右工場では、当日における生コンクリートの出荷予定が五五〇立方メートルであつたところ、同日午後一時三六分ころまでに四一〇立方メートルの出荷が終わつていたこと、しかし、運輸一般東京生コン支部の者が来てからは、前記二台のミキサー車が出荷したのみであり、出荷業務を再開するまでの間、日立コンクリート押上工場に対し、出荷予定の生コンクリート九〇立方メートルの振替え納入を依頼したこと

(8) 被告人志村及び運輸一般東京生コン支部の組合員らは、同日午後三時五分ころ引き揚げたこと

(9) 右戸田橋工場では、同日午後三時六分ころ生コンクリートの出荷を再開し、その後出荷予定の生コンクリート五〇立方メートルを出荷したこと

(10) 日立コンクリートにおいては、ミキサー車一台の積載量を5.5ないし六立方メートルとしていたこと

(11) 日立コンクリートでは、いわゆるJIS規格により、生コンクリートの練り始めから現場での打込みまでの時間を一時間半以内に納まるように出荷準備をしていたこと

などの事実が明らかである。

(三) 右(二)認定の各事実、とりわけ被告人志村はじめ運輸一般東京生コン支部の組合員らが日立コンクリート戸田橋工場の構内あるいはその周辺に約一時間半いたことや、その間、右戸田橋工場では、二台のミキサー車が出荷しただけで、ミキサー車約一五台分に相当する生コンクリート九〇立方メートル(一台の積載量を六立方メートルとして計算)の振替え納入を他に依頼するに至つたことなどに加え、「宣伝行動」にあたつた右組合員らの人数、その態様等を総合すれば、右組合員らがその際右戸田橋工場の構内あるいはその周辺にいたこと自体が、同工場に出入りするミキサー車の円滑な運行に支障となつていたことが十分肯認できる。しかも、第一七回公判調書中の被告人植草の供述部分、第一八回公判調書中の被告人志村の供述部分、第一九回公判調書中の被告人猪浦の供述部分及び第一三回公判調書中の証人川崎孝司の供述部分によれば、右組合員らの大多数は、被告人らを含め、自らもミキサー車の運転手であつて、生コンクリートの製造及び出荷工程、いわゆるJIS規格による時間の制約などについては職業上の知識を有していたものと窺われ、したがつて自らの行為によつてミキサー車の出荷の流れを阻害することになるという認識を有していたことも十分に推認可能である。

加えて、右戸田橋工場の工場長代理兼製造課長である福田達馬は、第三回公判調書中の証人福田達馬の供述部分において、「八五四号のミキサー車が出荷するため前進しようとすると、かわるがわる組合員の五、六名の者が同車の前面に立ち塞がり、あるいは同車フロントバンパーに体を寄せるようにするなど、同車の出構を妨害した。その後、一五三号のミキサー車がホッパー下へ入るため後退しようとすると、かわるがわる組合員五、六名の者がその進路に立ち塞がつたりして同車の後退を妨害した。右一五三号のミキサー車に生コンクリートを積載したが、出構を妨害される危険性があつたためしばらく発進を見合わせたものの、いわゆるJIS規格による時間も迫つていたので、同車を前進させようとしたところ、組合員三、四名の者が同車前面に立ち塞がり、同車の出構を妨害した」などと供述している。右福田の証言内容は、具体的かつ詳細であり、右(二)認定の各事実(とりわけ(3)ないし(5)の各事実)にも照らし十分信用できるというべきである。

なお、被告人志村は、第一八回公判調書中の同被告人の供述部分において、また運輸一般東京生コン支部の組合員である川崎孝司は、第一三回公判調書中の証人川崎孝司の供述部分において、それぞれ右福田の証言についてこれが内容的に著しく誇張したものであり、また、右組合員らがことさらにミキサー車の出構を妨害したりしたことはないという趣旨の供述をしているが、これらの各供述は、いずれも組合員らの行為を擁護し、また自己の立場を正当化しようとする意図に基づくものと窺われ、右福田の証言にも照らしとうてい信用できない。

3 昭和五七年二月一八日における日立コンクリート押上工場及び葛飾工場への行動

(一) 各被告人の役割等

<証拠>によれば、

(1) 被告人志村は、昭和五七年二月一七日、前記戸田橋工場への行動を終えるころ、同工場近くから前記東京生コン支部事務所に電話し、被告人猪浦と相談したうえ、翌一八日には日立コンクリート押上工場へ行くことを決定したこと

(2) その後、被告人志村は、運輸一般東京生コン支部副委員長小野寿治(以下「小野副委員長」という。)とともに右工場近くに停めた宣伝カーの中に各分会の責任者を集め、翌一八日右押上工場へ行くことを指示したこと

(3) 被告人植草は、右一七日午後三時すぎころ、前記東京生コン支部事務所に電話した際、小野副委員長から「日立セメントとの交渉が決裂し、今日は日立コンクリート戸田橋工場に『宣伝行動』に行つたが、明日日立コンクリート押上工場へ『宣伝行動』に行く旨」告げられ、翌一八日、自らも右行動に参加するため右押上工場に赴き、同工場近くで被告人志村らと合流し、同被告人から日立セメントとの交渉が打切りとなつた状況について聞いたこと

(4) そして、被告人植草は、右一八日、右押上工場前に停めた宣伝カーのマイクを使うなどしていわゆるアジ演説を行ない、また日立セメントが交渉再開するかどうかの情報を得るため、右押上工場の近くから前記東京生コン支部事務所に電話し、被告人猪浦から様子を聞いたりしたこと

(5) 被告人植草及び同志村は、右押上工場における行動中、同工場にミキサー車が帰つて来なくなり、また、昼食時になつたこともあつて、二人で相談し、同工場における行動を打切り、午後は引き続き日立コンクリート葛飾工場に赴いて同じく「宣伝行動」を行なうことを決め、右押上工場周辺で昼食をとるなどしていた組合員らに対しその旨告げたこと

(6) 被告人植草及び同志村は、右押上工場における実際の行動に参加したが、被告人猪浦はこれに参加しなかつたこと

が認められる。

(二) 右押上工場における具体的状況

<証拠>によれば、

(1) 被告人植草、同志村及び運輸一般東京生コン支部の組合員約三〇名の者は、昭和五七年二月一八日午前九時二〇分ころ、東京都墨田区押上一丁目一番七二号所在の日立コンクリート押上工場に赴き、同工場の従業員らに対し、宣伝カーによる演説、宣伝用ビラの配付などいわゆる「宣伝行動」を開始したこと

(2) 右組合員の一部の者は、右工場構内に立ち入り、右従業員らに宣伝用ビラを手渡したり、話しかけたりしたこと

(3) ミキサー車一台(六五三号車)が生コンクリートの積載を完了し、同日午前一〇時二〇分ころ、出荷するため、右工場バッチャープラントの所から発進し始めたが、結局同車が出構したのは同日午前一〇時三五分ころであつたこと

(4) 次に、別のミキサー車一台(六〇号車)が右工場バッチャープラントに入つて生コンクリートの積載を完了し、同日午前一〇時四〇分ころ、出荷するため、右バッチャープラントの所から発進し始めたが、結局同車が出構したのは同日午前一〇時五五分ころであつたこと

(5) 更に、もう一台のミキサー車(八六二号車)が右工場バッチャープラントに入つて生コンクリートの積載を完了し、出荷するため、出構しようとしたが、同日午前一一時四〇分ころ昼休みに入つたため、結局同車が出構したのは同日午後〇時四〇分ころであつたこと

(6) 運輸一般東京生コン支部の組合員の一部の者は、右各ミキサー車の運転台のステップにあがつて、運転手にビラを手渡したり、話しかけたりしたこと

(7) 右工場の構内と公道との境には、門、塀などがなかつたこと

(8) 右工場では、運輸一般東京生コン支部の者が来たのち、出荷予定であつた生コンクリート約四二〇立方メートルの代納を他の同業会社に依頼したほか、日立コンクリート葛飾工場及び戸田橋工場に対し、出荷予定の生コンクリート約二七〇立方メートルの振替え納入を依頼したこと

(9) 被告人植草及び同志村は、運輸一般東京生コン支部の組合員らとともに同日午後一時四〇分すぎころ右押上工場の構内及びその周辺から引き揚げたこと

(10) 右押上工場では、同日午後二時ころ生コンクリートの出荷を再開したこと

などの事実が認定できる。

右認定の各事実、とりわけ被告人植草、同志村はじめ運輸一般東京生コン支部の組合員らが日立コンクリート押上工場の構内あるいはその周辺に約四時間二〇分いたことや、その間、右押上工場では、三台のミキサー車が出荷しただけで、ミキサー車約一六五台分に相当する生コンクリート約六九〇立方メートル(一台の積載量を六立方メートルとして計算)の代納等を他に依頼するに至つたことなどに加え、「宣伝行動」にあたつた右組合員らの人数、その態様等を総合すれば、右組合員らが右押上工場の構内あるいはその周辺にいたこと自体が、同工場に出入りするミキサー車の円滑な運行に支障となっていたと認められること、並びに、第一七回公判調書中の被告人植草の供述部分、第一八回公判調書中の被告人志村の供述部分、第一九回公判調書中の被告人猪浦の供述部分及び第一三回公判調書中の証人江川克人の供述部分によつて、被告人らを含め右組合員らが生コンクリートの製造及び出荷工程、いわゆるJIS規格による時間の制約などについて職業上の知識を有し、自らの行為によつてミキサー車の出荷の流れを阻害することになるという認識を有していたと推認可能であることは、前記二月一七日の戸田橋工場における場合と同様である。

加えて、右押上工場の工場長である白崎裄夫は、第五回公判調書中の証人白崎裄夫の供述部分において、「六五三号のミキサー車を出構させようとしたところ、組合員が同車の進路に立ち塞がつて妨害したため、公道まで五メートルくらい出るのに約一五分かかつた。次に六〇号のミキサー車に生コンクリートを積載して同車を出構させようとしたところ、右六五三号のミキサー車同様の妨害を受けた。その後いつたん出荷をあきらめようとして様子を見ていたところ、出荷ができるのではないかと思われたので、更に八六二号のミキサー車に生コンクリートを積載して同車を出構させようとしたが、右の二台以上の妨害を受けた。そのため昼休みをとつた後同車を出構させたが、そのときには妨害を受けなかつた」などと供述している。右白崎の証言内容は、具体的かつ詳細であり、右(1)ないし(10)認定の各事実(とりわけ(3)ないし(5)の各事実)にも照らし十分信用できるというべきである。

なお、被告人植草は、第一七回公判調書中の同被告人の供述部分において、被告人志村は、第一九回公判調書中の同被告人の供述部分において、また組合員の江川克人は、第一三回公判調書中の証人江川克人の供述部分において、それぞれ右白崎の証言についてこれが内容的に著しく誇張したものであり、また、右組合員らがことさらにミキサー車の出構を妨害したりしたことはないという趣旨の供述をしているが、これらの各供述は、いずれも組合員らの行為を擁護し、また自己の立場を正当化しようとする意図に基づくものと窺われ、右白崎の証言に照らしてもとうてい信用できない。

(三) 右葛飾工場における具体的状況

<証拠>によれば、

(1) 被告人植草、同志村及び運輸一般東京生コン支部の組合員約三〇名の者は、昭和五七年二月一八日午後二時すぎころ、東京都葛飾区東四つ木二丁目三番二二号所在の日立コンクリート葛飾工場に赴き、同工場の従業員らに対し、宣伝カーによる演説、宣伝用ビラの配付などのいわゆる「宣伝行動」を開始したこと

(2) 被告人らが右葛飾工場前に到着する直前に、右工場出入口の正門、検収門及び裏門は閉鎖されるに至っていたこと

(3) 右工場の出入口にはいずれも開閉できる門扉があり、またそれ以外の所もフェンス、ブロック塀等によつて囲われていること

(4) 右組合員らは、右工場の従業員らに宣伝用ビラを門扉越しに手渡したり、右工場に帰つて来て入構しようとしたミキサー車の運転手にビラを手渡したりしていたが、同工場構内に立ち入つた者はいないこと

(5) 右工場では、運輸一般東京生コン支部の者が来たのち、日立コンクリート押上工場に対し、出荷予定の生コンクリート約七〇立方メートル(一台の積載量を六立方メートルとして、ミキサー車一二台分)の振替え納入を依頼したこと、また、待機していたミキサー車に積載していた生コンクリート約五立方メートルを廃棄したこと

(6) 被告人植草及び同志村は、運輸一般東京生コン支部の組合員らとともに同日午後三時四〇分ころ右葛飾工場の周辺から引き揚げたこと

(7) 右葛飾工場では、同日午後四時一九分ころ生コンクリートの製造、出荷を再開したこと

などの事実が認定できる。

そして、右認定の各事実に前記(二)及び2(二)認定の各事実を合わせ考えれば、まずもつて右(2)認定のように葛飾工場において同工場の責任者らが被告人らの到着直前にすべての門扉を閉鎖したのは、運輸一般東京生コン支部の組合員三〇名位が来るという情報に基づき、右組合員らが同工場に至ればミキサー車の出構などに伴い右組合員らとの間で混乱の生じるのをおそれ、これを避けるためにとつた措置であることが合理的に推認できる。加えて、右葛飾工場の工場長である桒原永治は、第四回公判調書中の証人桒原永治の供述部分において、「前日の戸田橋工場、当日の押上工場における出荷妨害等の情報から、出荷を妨害されるものと判断し、更に本社からの指示もあつて門扉を閉めた。運輸一般東京生コン支部の者がいる間出荷業務ができなかつた」などと供述しており、この点右桒原の証言内容に疑いを容れる余地はない。

4 昭和五七年二月一九日における日立コンクリート押上工場への行動

(一) 各被告人の役割等

<証拠>によれば、

(1) 運輸一般東京生コン支部においては、昭和五七年二月一五日に開かれた執行委員会で、同月一九日東京都中央区八丁堀所在のエンパイアビルで開かれる関東中央生コン工業組合の総会へ要請行動に行くことを決めていたこと、なお、同委員会には被告人志村及び同猪浦が出席していたこと

(2) 運輸一般東京生コン支部組合員らが、同日午前一〇時ころまでに、右エンパイアビルに集つたところ、右総会の開かれるのは午後一時からであることが分り、参加していた被告人志村、同猪浦らと分会の責任者の間でそれまでの時間をどうするかについて相談がなされたこと

(3) その結果、空いた時間を利用して前記押上工場へ行くことになつたこと

(4) 被告人志村及び同猪浦は、当日朝から参加し、右押上工場へ行くことを三役として決めたが、被告人植草はこれに参加していなかつたこと

などが認められる。

(二) 具体的状況

<証拠>によれば、

(1) 被告人志村、同猪浦及び運輸一般東京生コン支部の組合員約五〇名の者は、昭和五七年二月一九日午前一〇時すぎころ、前記日立コンクリー卜押上工場に赴き、同工場の従業員らに対し、宣伝カーによる演説などのいわゆる「宣伝行動」を開始したこと

(2) 右工場では、同工場構内と公道との境に門、塀などがないため、いわゆる馬とロープを張つて境界線とし、立入禁止の札を下げ、ミキサー車の臨時出入口を作つていたこと

(3) 右工場では、同日午前一〇時三八分ころまで出荷業務を行なつていたこと

(4) ミキサー車一台(九五二号車)が生コンクリートの積載を完了し、同日午前一〇時三八分ころ、出荷するため、発進し始めたが、出構できぬためいつたん後退し、同日午前一一時一〇分ころから堀内弁護士の指揮の下に前進し、同日午前一一時二五分ころ出構したこと

(5) 右組合員らは、右工場構内には一人も立ち入らなかつたこと

(6) 右工場では、運輸一般東京生コン支部の者が来たのち、出荷予定であつた生コンクリート約一一五立方メートルの代納を他の同業会社に依頼したほか、日立コンクリート葛飾工場及び戸田橋工場に対し、出荷予定の生コンクリート五三立方メートルの振替え納入を依頼したこと

(7) 被告人志村及び同猪浦は、運輸一般東京生コン支部の組合員らとともに同日午後一時五分ころ右押上工場の周辺から引き揚げたこと

(8) その後、右工場では、正常な出荷業務を行なつたこと

などの事実が認定できる。

右認定の各事実、とりわけ被告人志村、同猪浦はじめ運輸一般東京生コン支部の組合員らが日立コンクリート押上工場の周辺に約二時間半いたことや、その間、右押上工場では、ミキサー車約二八台分に相当する生コンクリート約一六八立方メートル(一台の積載量を六立方メートルとして計算)の代納等を他に依頼するに至つたことなどに加え、「宣伝行動」にあたつた右組合員らの人数、その態様等を総合すれば、右組合員らが右押上工場の周辺にいたこと自体が、同工場に出入りするミキサー車の円滑な運行に支障となつていたと認められること、並びに、第一七回公判調書中の被告人植草の供述部分、第一八回公判調書中の被告人志村の供述部分、第一九回公判調書中の被告人猪浦の供述部分及び第一四回公判調書中の証人山本五十一の供述部分によつて、被告人らを含め右組合員らが生コンクリートの製造及び出荷工程、いわゆるJIS規格による時間の制約などについて職業上の知識を有し、自らの行為によつてミキサー車の出荷の流れを阻害することになるという認識を有していたと推認可能であることは、前記二月一七日の戸田橋工場における場合や二月一八日の押上工場における場合と同様である。

加えて、前記白崎裄夫工場長は、第五回公判調書中の証人白崎裄夫の供述部分において、「臨時出入口からミキサー車を出構させるとき、会社の従業員ら約二〇名で車両の前に二列横隊になり、腕組みをしながらU字形に並んで進路を作ろうとしたが、組合員が進路に立ち塞がり、妨害した。そのため危険で進むことができず、また従業員が組合員と車両の間にはさまれた形になつたので、車両をいつたん後退させた。その後、堀内弁護士の指揮の下に同様の方法で進路を作り出構させようとしたが、同様の妨害を受けた。しかし後退させることなく少しずつ前進させて出構した。その後の出荷は、それ以上やつても無理だということで昼休みにした」などと供述している。そして、右白崎の証言は、第一〇回公判調書中の証人堀内稔久の供述部分とも符合し、かつ、吉田司作成の各写真帳の各表紙及び写真並びに山本五十一作成の写真帳によれば、組合員らがミキサー車の前面にたむろしたり、立ち塞がつたりしており、更に、同車を人垣で囲むようにしている状況が認められることにも照らし、その信用性が高いことはいうまでもなく、結局、右白崎の証言によつても右組合員らの行動が「宣伝行動」の名のもとにミキサー車の運行を阻害し、結果において出荷を妨害するための行動であつたことは明らかである。

なお、被告人志村は、第一九回公判調書中の同被告人の供述部分において、被告人猪浦は、第二一回公判調書中の同被告人の供述部分において、また組合員の山本五十一は、第一四回公判調書中の証人山本五十一の供述部分において、それぞれ右白崎及び堀内の各証言についてこれが内容的に著しく誇張したものであり、また、右組合員らがことさらにミキサー車の出構を妨害したりしたことはないという趣旨の供述をしているが、これらの各供述は、いずれも組合員らの行為を擁護し、また自己の立場を正当化しようとする意図に基づくものと窺われ、右白崎の証言に照らしてもとうてい信用できない。

六日立セメントが運輸一般東京生コン支部に対し一三〇〇万円を振込むに至つた経緯

1 日立コンクリートとしての対応

<証拠>によれば、日立コンクリート専務取締役本郷俊作(以下「本郷専務」という。)は、昭和五七年二月一九日午後四時ころ、日立セメント副社長佐藤陽吉(以下「佐藤副社長」という。)から電話を受けた際、同人に対し、運輸一般東京生コン支部の者らによる前記認定のような日立コンクリート戸田橋工場、押上工場及び葛飾工場に対する三日間に及ぶ「宣伝行動」及びこれによる出荷業務の停滞等に関し、「こういうことを連続的にやられては営業上非常に障害が起きてくる。一九日においてはかなりのアジ演説をやられている。地域住民に対しても、会社の信用の失墜と誤解がはなはだしい。日立セメントの方で解決の道を見出して欲しい」旨申し入れたこと、その後本郷専務は、株木社長に会つて同社長に対し、「納入現場からこういうことをしていては、会社の営業上重大な影響を与える。地域住民に対して会社の信用失墜と誤解を招く。押上工場の場合、公道が狭いうえに大人数でたむろされては住民に対する迷惑もかかるし、交通渋滞も起こす。従業員が非常に心理的に動揺をきたしている。住友セメント、日本セメントにおいては既に金銭解決がなされている模様である。当社一社だけが頑張つて連日デモられたのでは営業上成り立たない。日立セメントで運輸一般東京生コン支部との話合いの窓口を再度開いて欲しい」旨申し入れたことが認められる。

ただこの点、第三回公判調書中の証人福田達馬の供述部分、第四回公判調書中の証人桒原永治の供述部分、第五回公判調書中の証人白崎裄夫の供述部分及び第九回公判調書中の証人本郷俊作の供述部分によれば、日立コンクリートでは、昭和五七年一月下旬には既に運輸一般東京生コン支部の者らが日立セメントに対し横山問題に関して要請を行なつていることを知つていたこと、交渉の経過如何によつては運輸一般東京生コン支部の者らが日立コンクリートの工場にも出荷妨害などに来ることが予測されたため、昭和五七年一月二八日、工場長、本社の労務担当者らが出席して会議を開き、運輸一般東京生コン支部の者らが工場に来た場合の対策を検討していたこと、また、日立コンクリート押上工場では、同年二月一七日午後四時ころから、同日運輸一般東京生コン支部の者らが前記戸田橋工場に来たことにより出荷停止の結果が生じたという情報を受けて会議を開き、運輸一般東京生コン支部の者らが右押上工場に来て出荷ができなくなつた場合には、生コンクリートの製造と出荷を中止し、空車を前記葛飾工場へ回送するとともに、他の同業会社に代納を依頼するほか、右葛飾工場及び戸田橋工場に振替え納入を依頼することを決め、それぞれの手配をしたこと、更に日立コンクリートでは、同月一八日午前九時ころ、同月一七日右戸田橋工場において出荷停止がやむを得なくなつたことから会議を開き、その具体的状況の報告と今後の対策について協議し、運輸一般東京生コン支部の者らが各工場に来た場合には、他の工場等に振替え納入を依頼し、右葛飾工場においては同工場の門扉を閉鎖することなどを打ち合せたこと、また、同月一八日午後六時ころ再び会議を開き、右押上工場においてはいわゆる馬を設置することを決めたこと、このように対策を検討していたことから、日立コンクリートの各工場では、運輸一般東京生コン支部の者らによる「宣伝行動」のため現実に出荷停止等の結果が生じたものの、他の同業会社に代納を依頼したほか、他の工場に振替え納入を依頼したことにより、納入時間が遅れたことはあつても、現場に対しては、出荷予定の生コンクリートをすべて納入したことが認められ、また、以上の各事実に照らし、日立コンクリートとしては実際的な損害については最小限にとどめえたことも肯認できる。もつとも、このように実損を最小限にとどめえたのは、右認定の各事実によつて明らかなように日立コンクリートが事前に対策を講じ、事態に対応できるように次善の策を適切にとつたことによるものであつて、経済的にも有形無形の影響があつたことは明らかである。すなわち、生コンクリートという製品の性質上、納入時間の厳守はもとより、出荷業務と現場への納入が相関連し、これらが円滑に行なわれて初めて顧客の信頼を得るに至ることを考えると、本件のように運輸一般東京生コン支部の者らの行為によつて生じた出荷業務の停滞はまさに会社の信用にかかわる問題であり、ひいては会社の金銭的損失をもたらすおそれのあるものといえる。

してみれば結局、前記認定のような本郷専務の株木社長らに対する申入れの内容は、生コンクリート会社にとつて切実かつ深刻な事態に対応するためのものであり、十分首肯しうるということができる。

2 日立セメントにおける協議

<証拠>によれば、

(一) 本郷専務の前記申入れを受けた株木社長は、昭和五七年二月一九日午後五時ころから、前記日立セメント東京事務所において、日立セメント及び日立コンクリートとして合同の対策会議を開き、今後の対応を協議したこと

(二) 右会議には株木社長、株木孝子秘書役のほか、日立セメント側から佐藤副社長、池上常務、岸川係長、入江係長、日立コンクリート側から町田計五郎副社長、本郷専務、佐藤昇常務、篠崎皓総務課長(同日午後七時半ころ出席)が出席し、堀内弁護士も同日午後七時半ころから出席したこと

(三) 右会議においては、「日立コンクリートは営業上大変信用が落ちる。日立セメントとしても、セメントの最大の出荷先である日立コンクリートが生コンクリートについて実質的な出荷妨害を受けると、セメントの消費が減る。地域住民に対しても迷惑をかけることになる。金額を少しでも減らしてもらつて、金銭解決する方が営業上得策である」という意見と、「両会社にとつては全く関係のない災難だから、警察の手で排除してもらうべきだ」とする意見が対立したこと

(四) 株木社長は、「生コンクリートを扱う仕事は、品質の良い生コンクリートを製造し、顧客の需要に合わせて所定の時間内に供給することが使命である。出荷ができないということになれば、建設業者にとつて大変な手違いが生じ、工期、工程にも影響を及ぼす。理由の如何を問わず、信用を失なうことになる。地域住民に対しても迷惑をかける。従業員が心理的に動揺して仕事ができない。日立コンクリートが出荷できなければ、必然的に日立セメントのセメント消費が落ち込み、多大の損害を蒙ることになる。住友セメントや日本セメントも金銭解決している。会社を守るためには金銭解決もやむを得ない」という判断に立ち、右趣旨のことを出席者に告げて、金銭解決による旨の決断を示したこと

(五) そして、他の出席者も株木社長の決断を了承し、日立セメントとして金員の支払に応じることを正式に決定したこと

(六) そこで株木社長は、岸川係長に対し、「明日もまた出荷妨害されては困るので、すぐに運輸一般東京生コン支部と連絡をとりなさい」などと指示したこと

が認められる。

3 日立セメントの運輸一般東京生コン支部に対する金員支払の態度表明

<証拠>によれば、

(一) 株木社長から前記指示を受けた岸川係長は、昭和五七年二月一九日午後八時ころ、前記東京生コン支部事務所に電話し、電話口に出た被告人猪浦に対し、「話を前に戻して、もう一回話合いをして欲しい」旨申し入れ、日立セメントにおいて金員支払の意思があることを伝えたこと

(二) 被告人猪浦は、日立セメント側でまず金額を提示するように求めたが、岸川係長から同被告人に対し金額を提示するよう求められたため、いつたん電話を切つたのち、再度岸川係長と電話で話し、一五〇〇万円と提示したこと

(三) 岸川係長から右提示額の報告を受けた株木社長は、岸川係長に対し、一三〇〇万円で解決するように指示したこと

(四) そこで、岸川係長は、被告人猪浦に今一度電話を入れて一三〇〇万円で解決してもらいたい旨申し入れ、同被告人においてもこれに同意したこと

(五) そして、後日双方で覚書を作成することを決めたこと

などの事実は明らかである。

ところで、日立セメントの支払う金額が一三〇〇万円と決定したことについて、右金額の提示などに関し、若干証拠上の食い違いがみられる。すなわち、岸川係長は、第六回公判調書中の証人岸川幸雄の供述部分において、「弁護士の立つ前の話合いをもう一回して欲しいと申し入れたところ、被告人猪浦から、『今更何を言つているんだ。我々の力が分つただろう』などと言われ、私が『前の状態に戻つてもう一度交渉さして欲しい。八〇〇万円すぐ払う』と申し出たのに対しても、同被告人から、『冗談じゃない。そんな八〇〇万円みたいなはした金で手を打てない。関西の方から応援の人にずいぶん来てもらつている。今更八〇〇万円という金では応じられない』などと言われた。それで、私が『いくらぐらい出せばいいのか』と質問すると、逆にこちらで金額を提示するように言われたので、電話を切つた。その内容を会議の出席者に報告したところ、相手から金額を提示してもらうように言われ、また被告人猪浦に電話し、金額を提示してくれるように申し入れた。被告人猪浦は、『こういうことをしでかしたのはお宅の日立セメントの方が悪い。その迷惑料をもらわなきゃならない。関西の方から動員をしているので、そういう費用も大変かかつている。一五〇〇万円びた一文負からない』と言つたので、株木社長にすぐ報告した。私は、株木社長から一三〇〇万円で解決するように指示を受けたので、被告人猪浦に再び電話し、一三〇〇万円で手を打つて欲しい旨申し入れ、同被告人の同意を得た。また、同被告人から、『とにかく覚書と金をすぐ用意するように』と言われた」などと供述している。一方、被告人猪浦は、第二一回公判調書中の同被告人の供述部分において、「岸川係長の方からしきりと金額を言つて欲しいと懇願されたので、『住友が一五〇〇万円ですので、一五〇〇万がめどでしょう』という趣旨のことは言つたことはあるが、岸川係長の証言するような『迷惑料』などということは一切言つていないし、岸川係長が『八〇〇万円すぐ払うと申し出た』ことはなく、自分の方で『今更八〇〇万円という金では応じられない』とか『とにかく覚書と金をすぐ用意するように』とか言つたこともない」旨供述している。

この点、前記2及び右(一)ないし(五)認定の各事実並びに前記三認定のような日立セメントと運輸一般東京生コン支部との交渉が打切られた状態に達した経緯に照らし、右二月一九日夜の電話において、日立セメント側としては、金銭解決により事態の収拾を図りたいということから、いわば下手の態度に出て話をすすめたものの、金額を提示するにあたつては交渉が打切られた状態に達する前の八〇〇万円あるいは一〇〇〇万円をめどとした金額を提示したであろうことが十分推認できるし、一方、運輸一般東京生コン支部側では、日立セメント側から金銭解決の申入れをして来たということから、いわば優位の立場にあり、また、組合員らを動員して日立コンクリートの三工場に対しいわゆる「宣伝行動」を行なつたこともあつて、八〇〇万円あるいは一〇〇〇万円の提示では満足せず、一五〇〇万円の金額を提示するにあたつてはかなり強い態度に出たであろうことも十分推認可能である。してみれば、右岸川の証言は、右のように合理的に推認できる事実によつて裏付けられ、また、第九回公判調書中の証人本郷俊作の供述部分、第一〇回公判調書中の証人堀内稔久の供述部分及び第一一回公判調書中の証人株木正郎の供述部分とも符合し、十分に信用することができ、結局、一三〇〇万円という金額決定の経緯は右岸川係長の述べるようなものであつたと認定することができる。これに対し、被告人猪浦の右供述は、この点に関しても全体的に自己の立場を擁護しようとする意図で貫かれ、一五〇〇万円を提示した状況についても具体性に乏しく、とうてい信用できない。

なお、前記2及び右(一)ないし(五)認定の各事実に照らし、株木社長は、日立セメントの代表取締役として、日立セメントが被告人らに一三〇〇万円を支払うことを決定したものであるところ、このような決定をするに至つたのは、日立コンクリートの工場で出荷業務を阻害されるという状況が繰り返し出現するに至れば、日立セメントのいわゆる子会社である日立コンクリートが生コンクリートを納入している顧客に対し多大の迷惑と不安を与えるばかりでなく、その親会社であり、かつ、日立コンクリートの使用するセメントを全面的に供給している日立セメントとしても、自らの企業としての社会的信用を失なうおそれもあり、また、日立コンクリートにセメントを出荷できなくなつて現実的にも経済的損失を蒙るおそれもあり、こうした事態の発生を憂慮して、一時的な金銭的損失で将来におけるこのような事態の発生を防止しようとしたものと認めることができる。

4 昭和五七年二月二二日付の覚書及び確認書の作成と一三〇〇万円の振込み

<証拠>によれば、

(一) 昭和五七年二月二二日午後一時半ころから、東京都千代田区丸の内一丁目所在の丸ノ内ホテルにおいて、日立セメント側から岸川係長及び入江係長、運輸一般東京生コン支部から被告人志村、同猪浦ほか三名が出席し、日立セメントから運輸一般東京生コン支部に対する一三〇〇万円の支払に関して、覚書の作成などについて協議したこと

(二) その際、日立セメント側が持参した草案には、「五七年二月一七日ないし一九日の三日間、乙の系列会社日立コンクリート株式会社三工場(戸田橋・押上・葛飾)への示威行為に対し、甲乙双方とも今後民事・刑事に係わる責任の追及は一切行なわないし、乙は損害賠償の請求もしない」「甲は今後、乙並びに乙の系列会社・関連会社及びその事業所に対し、いかなる干渉も行なわない」「解決金として、金一三〇〇万円也を乙は甲に対して、甲の指定する銀行の口座に一定の期日までに振込むものとする。又この振込により領収書に代える事を可とする」「今紛争により被害をうけた日立コンクリート株式会社に対し、甲は遺憾の意を表する」旨記載されていたこと

(三) また、被告人志村が持参した確認書には、「日立セメント株式会社(甲)と全日本運輸一般労働組合東京地区生コン支部(乙)とは、横山産業株式会社の労使紛争に関し、交渉の結果下記の通り解決をみたので、ここに確認する」「一、甲は、横山産業(株)と乙間に生じた一連の労使紛争をセメント供給の立場、業界の安定社会的地位向上の立場から横山産業(株)の企図した一連の行動について遺憾の意を表する。二、甲は乙が甲及び甲の関連する生コンクリート工場での行動に関して民事刑事に係わる一切の責任追及を行なわない。三、甲は乙に対して本件解決に当り金一封を差し賜るものとする」旨記載されていたこと

(四) 覚書等の内容や金員支払の方法などを協議した結果、ほぼ被告人らの示した方向で双方合意するに至り、その場で右合意の結果を記載した仮覚書(前記押号の四はその一通)及び確認書(岸川幸雄ほか一名作成のもの)(同押号の五はその一通)を作成したこと

(五) 日立セメントにおいては、岸川係長の持つて帰つた右仮覚書及び確認書に基づき、タイプ印書などにより正式の文書としての日立セメントと運輸一般東京生コン支部との間の覚書(佐藤弘道ほか一名作成のもの。前記押号の六はその一通)及び確認書(佐藤弘道ほか一名作成のもの。同押号の七はその一通)を作り、代表者としては佐藤総務部長として肩書付で記名押印し、前記東京生コン支部事務所に送つて、運輸一般東京生コン支部の代表者としては被告人植草の肩書付の記名押印のある各一通を送り返させるなどしたこと

(六) 右覚書には、「日立セメント株式会社(以下甲という。)と全日本運輸一般労働組合東京地区生コン支部(以下乙という。)とは横山産業株式会社の労使紛争に関し、交渉の結果下記の通り解決する。」「1、昭和五七年二月一七日ないし一九日の三日間、甲の系列会社日立コンクリート株式会社三工場(戸田橋・押上・葛飾)への示威行為に対し、甲乙双方とも、今後民事・刑事に係わる責任の追及は、一切行なわないし、甲は損害賠償の請求もしない。2、乙は今後、甲並びに甲の系列会社、関連会社及びその事業所に対しいかなる干渉も行なわない。3、甲は乙に対し本件解決に当り別紙確認書により解決金を支払うものとする。4、今回の横山産業株式会社の一連の紛争について甲は遺憾の意を表する」旨記載されていたこと

また、右確認書には、「昭和五七年二月二二日付日立セメント株式会社(以下甲という。)と全日本運輸一般労働組合東京地区生コン支部(以下乙という。)との覚書第3項について次のとおり確認する。1、解決金は金一三〇〇万円也とし、甲は乙に対して、乙の指定する富士銀行三田支店普通預金口座番号八九八八四五全日本運輸一般労働組合東京地区生コン支部猪浦潔名義の口座へ昭和五七年二月二七日までに振込む。なお、この振込みにより領収書に代えるものとする」旨記載されていたこと

(七) 日立セメントでは、同月二六日、同会社資金課長石井享らをして、東京都豊島区西池袋一丁目一七番一〇号所在の株式会社日本長期信用銀行池袋支店の日立セメント名義の当座預金口座から同都港区芝五丁目二五番一一号所在の株式会社富士銀行三田支店の全日本運輸一般労働組合東京地区生コン支部猪浦潔名義の普通預金口座に一三〇〇万円を振込み入金する手続をとらせ、同日、右金員は右普通預金口座に入金されたこと

が認められる。

七被告人らの犯意等

1 金銭要求の意思

前記四1冒頭挙示の各証拠によれば、被告人らは、昭和五六年一二月四日に日立セメントと最初に交渉した際には、前記四1(一)認定のように運輸一般東京生コン支部として同年一〇月七日に同支部執行委員会で決定した内容、すなわち、同支部と横山産業との交渉の接点を作つてもらうとともに、横山産業に対する(1)その行なつた不当労働行為を謝罪させる、(2)いわゆる原状回復として横山分会を再建させる、(3)不当労働行為によつて同支部が蒙つた損害を回復させるという三項目の要求に関し、その実現のために、日立セメントに対しその横山産業に対する影響力を行使するよう求める申入れをしたこと、とはいえ、被告人らは、住友セメントとの間で金銭解決をしたのちは、前記四1(一六)以下認定のように日立セメントに対しても金銭による解決を求め、黙示的あるいは明示的に金銭を要求し、特に交渉を一任された被告人猪浦において日立セメントの岸川係長と交渉を重ね、昭和五七年二月四日には日立セメントから、横山問題に関し、金銭解決によることを受けいれる態度を示されるに至つたこと、前記四1(二二)、(二五)、(二七)認定のように右二月四日以降、運輸一般東京生コン支部と日立セメントの交渉が同月一六日夕方に打切り状態に至るまでは、被告人猪浦と岸川係長との間で具体的な金額等についての話合いが行なわれていたこと、もつとも、被告人らとしては、この間、あくまで日立セメントの協力を求めるという態度をとり、前記四2(二)、(三)、(四)認定のように岸川係長らに「もつと誠意を示せ。お宅の会社がそんな会社だとお宅の会社自体大変なことになる。お宅の粉を止めるぞ」などと申し向けたことはあるものの、それ以上に金銭の支払を強制するような態度まではとつていなかつたことなどが認定できる。

してみれば、右認定の各事実に照らし、被告人らは、日立セメントに対する金銭要求の意思を有し、現実的にも金銭要求の行為に及んでいるものの、これを要求するにあたり、右二月一六日夕方に日立セメントとの間の交渉が打切り状態に達するまでは日立セメントに対し一応その協力を要請するという形をとり、外形的にみる限り話合いによる交渉の過程で日立セメントに金銭解決によるという態度を示させることができたものと認定できる。ただし、日立セメントの示した金銭解決によるという態度は、日立セメントの法律上の義務に基づくものでないことはいうまでもない。すなわち、前記二認定のとおり日立セメントは横山産業とはセメントの販売納入という商取引関係があるにすぎず、業務提携すら一切存在しない両会社の関係に照らし、日立セメントが横山産業で発生した労働争議などに関し、その使用者らと連帯して組合側に損害を賠償したり組合側の要求する事項の実現に努力したりする法律上の義務を負うものでないことは明らかである。また、運輸一般東京生コン支部ないし被告人らにおいても、横山問題に関連して、日立セメントの任意に支払う金銭を受け取ることはさておき日立セメントに対し金銭を要求できる法律上の権利を有するものでないことはいうまでもない。

2 被告人らの金銭喝取の意思・共謀

(一) 前記五1(一)、(二)認定のとおり、昭和五七年二月一六日夕方の被告人志村と堀内弁護士との電話で日立セメントと被告人らとの交渉が打切られた状態に至るや、早速に被告人志村及び同猪浦が前記工藤誠と相談して、翌一七日に日立セメントの生コンクリート製造部門と理解していた日立コンクリートの工場においていわゆる「宣伝行動」を行なうことを決めたことも明らかである。

そこで、被告人志村及び同猪浦が、右工藤と相談して、右のとおり日立コンクリートの工場に対し「宣伝行動」を行なうことを決めたのは、いかなる意図ないし目的をもつてなされたものであるかについて検討するに、<証拠>によれば、運輸一般東京生コン支部としてはその際横山問題に関し、住友セメントとは一二〇〇万円で金銭解決をしていたこと、被告人らは、日立セメントに対し、法律上金銭を要求できる権利を有しないものの、協力を求める形で黙示的又は明示的に金銭の支払を要求して来ていたこと、そして右交渉の打切り状態に達する以前においては日立セメントから一〇〇〇万円ないし八〇〇万円の線で金銭解決に応じるという態度をとられていたこと、また、被告人志村及び同猪浦は、日立セメントとの交渉断絶について同会社から一方的に破棄されたという認識と腹立ちを覚えたことなどは明らかであり、更に、右「宣伝行動」後に日立セメントが一三〇〇万円を支払うに至つたことも前記六認定のとおりである。してみると、これら客観的な事実からも、被告人志村及び同猪浦が右のように「宣伝行動」を行なうことを決めた意図ないし目的は、日立セメントに対する金銭要求の意思を貫くために実力行使という手段に訴えようとしたもの、すなわち、日立コンクリートひいては日立セメントの営業・信用等に影響を与えることにより、日立セメントを畏怖させ、金銭の要求に応ぜざるを得ないようにするためであつたと合理的に推認できる。とりわけ、右事実は、その後の具体的な経過によつても裏付けられるといえる。すなわち、前記五1(四)認定のとおり被告人猪浦は、前記日立セメント東京事務所に電話し、応対に出た者に対し「対決する方針に決定した。生コン工場等に対し何らかの行動を起こす」などと申し向けたこと、被告人らはじめ運輸一般東京生コン支部の組合員らが前記五2ないし4認定のとおり三日間にわたり日立コンクリートの三工場に赴き、いわゆる「宣伝行動」を行なつて、各工場の出荷業務の停滞という事態を生じさせたこと、また、前記六3認定のとおり被告人猪浦は、岸川係長からの交渉再開の申入れに対し、「今更何を言つているんだ。我々の力が分つただろう」などと申し向けたうえ、日立セメントから金額を提示させようとし、また求められて自ら提示した金額も一〇〇〇万円ないし八〇〇万円ではなく、一五〇〇万円であり、結局日立セメントに一三〇〇万円支払うという申出をさせるに至つていることなどが認められ、右のような具体的経過はまさに被告人らの右「宣伝行動」をする際の意図がそのような結果発生を目論んでいたことを直接に窺わせるものである。

以上から結局、被告人志村及び同猪浦が「宣伝行動」を行なうと決めた際、同被告人らが日立セメントから金員喝取の意思を有していたことは右各事実に照らし十分に肯認できる。

(二) ところで、被告人志村及び同猪浦が、右二月一六日夕方、日立コンクリートの工場に対する「宣伝行動」を行なうと決めたこと、被告人志村が同月一七日から同月一九日までの「宣伝行動」にすべて実際に参加し、同月二二日に日立セメント側との間で行なわれた覚書の作成や金銭支払の方法などについての協議にも参加したこと、被告人植草が同月一七日に小野副委員長から翌一八日の行動について事情を聞き、更に同日右行動に参加した際、被告人志村からも「宣伝行動」をするに至つた理由について説明を受け、また自ら積極的にいわゆるアジ演説をするなどの行為に及び、また、被告人志村と相談して同日午後に葛飾工場で「宣伝行動」を行なうことを決めたり、被告人猪浦とも連絡をとりあつて日立セメントが交渉再開する動きがあるかどうかについて同被告人に尋ねたりしていること、被告人猪浦が同月一九日の行動に実際に参加し、同日夜日立セメントから一三〇〇万円支払うという申出を受けてこれを了承し、同月二二日の日立セメント側との協議にも参加して主導的役割を果たしたことは前記五及び六認定のとおりである。

したがつて、右各事実に前記(一)認定の事実を合わせ考えれば、被告人志村及び同猪浦においては日立コンクリートの工場に対する「宣伝行動」を行なうことを右二月一六日に決めた際、その相談を通じ、用いた言葉などがどのようなものであつたかは別として、実質的に日立セメントから金員を喝取することの共謀を遂げたことは明らかであり、更に被告人植草においても、右二月一八日の行動に参加した時点において、右「宣伝行動」の意図するところを他の被告人らから説明を受けるまでもなく了解し、これに積極的に加わることによつて、被告人志村及び同猪浦との間で意思を相通じ日立セメントから金員を喝取することの共謀を遂げるに至つたことが十分肯認できる。

3 被告人らの行為と財産上不法の利益の取得

被告人らが運輸一般東京生コン支部の組合員らを動員して昭和五七年二月一七日から同月一九日にかけ日立コンクリートの三工場で行なつたいわゆる「宣伝行動」が実質的にミキサー車の運行を阻害し、出荷を停滞させるという結果を発生させるものであつたこと、及びそのような結果を発生させることについて被告人らが十分認識を持つていたことなどは前記五認定のとおりである。また、日立セメントが一三〇〇万円を株式会社富士銀行三田支店の全日本運輸一般労働組合東京地区生コン支部猪浦潔名義の普通預金口座に振込み入金したこと、及び株木社長が右振込み入金を決定するに至つたのは、被告人らの右「宣伝行動」により実質的に子会社である日立コンクリートが業務遂行に支障を生じ、このような事態が繰り返し生じるならば日立セメントとしても企業としての社会的信用を失墜し、現実的にも経済的な損失を受けるおそれがあると判断したことによるものであることも、前記六3及び4認定のとおりである。

そして右のような事実に加え、右1及び2認定のような被告人らの意図などを合わせ考えれば、被告人らが共謀して運輸一般東京生コン支部の組合員らを動員して日立コンクリートの三工場で右「宣伝行動」を行なつたことは、日立セメントの代表機関である株木社長をして日立セメントの信用の失墜や経済的損失を蒙るおそれがあると畏怖させるに足りる行為として、これが恐喝罪の手段たる害悪の告知(相手を畏怖させる行為)にあたることはいうまでもなく、かつ、その結果として現実に株木社長を畏怖させて右のように一三〇〇万円の振込み入金をさせたのであるから、右害悪の告知と被告人らの財産上不法の利益の取得との間に因果関係があることも明らかであり、以上から結局、被告人らの共謀による判示所為が恐喝罪を構成することは十分肯認できる。

八以上の次第で結局、前掲第二部「証拠の標目」挙示の各証拠によれば、判示認定のとおり、被告人三名が共謀のうえ、日立セメントの関連系列会社日立コンクリートの工場に対し実質的に出荷業務を阻害するような行為に出て、日立セメントの株木社長を畏怖させ、その結果、日立セメントから被告人猪浦名義の銀行預金口座に一三〇〇万円の振込み入金を得て財産上不法の利益を得た事実はその証明が十分であり、この認定に合理的な疑いを容れる余地はない。

第二社会的相当性の主張について

一弁護人らは、(1)運輸一般東京生コン支部の日立セメントを含むセメント三社に対する要請行為は、横山分会組合員が横山産業の不当労働行為により全員脱退させられたため、団結権という労働者の基本的な権利の侵害に対し、横山産業の責任を追及し、原状回復を求めたものであつて、労働組合として至極当然のことであり、(2)運輸一般東京生コン支部の日立セメントに対する要請内容は、横山産業をして、(イ)その行なつた不当労働行為を謝罪させること、(ロ)いわゆる原状回復として横山分会を再建させること、(ハ)この不当労働行為によつて運輸一般東京生コン支部が蒙つた損害を回復させることの三点を実現させるために、住友セメント及び日本セメント二社と共同して横山産業に働きかけ、これを指導して欲しいというものであり、金員交付の要求は何ら含まれていないのであつて、不当労働行為により組織破壊の損害を蒙つた労働組合が、その原状回復を図ろうとして、当該企業に影響力を行使しうる地位にある企業に対して行なう要請以外の何ものでもなく、(3)運輸一般東京生コン支部と日立セメントの交渉の過程で出てきた金銭解決の話は、運輸一般東京生コン支部の方から要求提案したものではなく、日立セメントの方から提案されたものであり、(4)運輸一般東京生コン支部が横山産業における労働争議の解決を図るため、いわゆる背景資本にあたるセメント会社に要請を行なうことは、セメント・生コン業界間の関係の特殊性並びにこれまでの生コン労働運動の実態からみて相当性を欠くものではなく、必然的、合理的な行動であり、(5)被告人らによる一連の行動は、一貫して運輸一般東京生コン支部の組合活動として行なわれたものであり、結局被告人らの本件行為は動機・目的からみて社会的な相当性を具備しているから、恐喝罪に該当しないと主張している。

二まずこの点、日立セメントと横山産業との間には、前記第一の二認定のとおり日立セメントにおいて横山産業に対し販売特約店を介するなどして自己の商品であるセメントを販売し、横山産業においてこれを生コンクリートやコンクリート製品の原材料として購入するというただの商取引関係が存在するにすぎず、両会社がいわゆる親会社・子会社の間柄にあるものでもなく、日立セメントが横山産業の役員や管理職に人を派遣しているという関係にもないことが客観的に明らかである。また、被告人らないし運輸一般東京生コン支部に属する組合員らの認識をみても、前記第一の三6及び第一の四1(一五)認定のように日立セメントと横山産業とはセメントの取引関係にあるものという認識が前提で、両者間に資本面であるいは人的構成面で結びつきがあるという認識を有していたものでもなく、ただ、若干、日立セメントにおいては横山産業との取引関係が古く、かつては横山産業に対するセメント納入を独占していた時期があり(ただし、本件当時のシェアは約二〇パーセントであると認識していた。)、現在も横山産業のセメントサイロを所有し、横山産業にそれを使わせているという状況にあり、更に横山産業に対し技術指導をしたり仕事先の紹介をしたりしていたなどという認識があつたにすぎないものと認められる。してみると、右のような日立セメントと横山産業の関係、とりわけ両会社の間に資本面でも人的構成の面でも結びつきの全くないことに照らし、仮に弁護人ら主張のように運輸一般東京生コン支部横山分会所属の組合員らが全員脱退したことが横山産業の使用者らの不当労働行為の結果であるという前提に立つてみても、前記七1でも判断を示したとおり日立セメントが一個の企業体として、あるいは日立セメントの使用者らが「使用者」として、労働関係法規に基づき右横山産業の使用者らの行なつた「不当労働行為」に関し原状回復の義務を負つたり、民事上刑事上の責任を負うべき立場などにないことは明らかである。なお、前掲第二部「証拠の標目」挙示の日立セメント株式会社と横山産業株式会社の関係等、犯行に至る経緯及び罪となるべき事実にかかる各証拠に照らし、この点に関し、日立セメントが横山産業との間で特段の契約を結んでいる事実も一切窺われないし、運輸一般東京生コン支部との間で特定の協約を結んでいる事実のないことも明らかである。

ところで、弁護人らは、ある企業において労働争議などが発生した際、組合側においては、当該企業との間で商取引以上の法律的関係がなく、ただ経済的な社会的関係において影響力を持ちうる他の企業等―被告人らにおいてはこうした企業も背景資本と呼んでいる―に対し、組合側に有利に解決するようその影響力の行使ないし協力を要請するということが近時行なわれており、こうした要請行為は正当な労働運動であると主張している。この点確かに、組合側から被告人らのいう背景資本に対し影響力の行使ないし協力を要請すること自体は、労働法上もまた市民法上も直ちに特段の制約を受けるものではなく、これが不当ないし違法なものでないことはいうまでもない。しかしながら、当該背景資本が組合側から協力などを求められた事項の解決等に関し法律上の責任ないし義務を一切負つていない場合には、その協力などを法律上強制することのできないのはもとより、実力行使に訴えるなどして事実上強制することも許されないことはいうまでもなく、その協力などを求める手段方法は社会生活上平穏かつ妥当と認められるものでなければならないことも当然である。一方協力などを求められた側においてこれに任意に応じるのはともかく、協力などを拒否することも法律的には全くの自由である。

そこで、以上の前提に立ち、なお第一五回公判調書中の証人市毛良昌の供述部分、全日本運輸一般労働組合関西地区生コン支部作成の「政策課題の新たな前進めざして」と題する書面などにも照らし、本件についてみるに、日立セメントは右にみたとおり横山産業との関係で被告人らのいう背景資本の一つにあたるとしても、いわゆる横山問題の解決に関し、法律上の責任ないし義務を負う立場になく、まして被告人らないし運輸一般東京生コン支部に対して金銭支払の義務など一切負つていなかつたことが明らかである。しかるに、被告人らにおいては、判示認定のとおり昭和五六年一二月四日から日立セメントに対し、横山問題に関し横山産業の謝罪、原状回復及び実損回復の三項目を掲げて、解決への直接的な協力方を求め、被告人らはじめ運輸一般東京生コン支部の組合員らが三回にわたつて前記日立セメント東京事務所を訪れ、また被告人猪浦が主となつてしばしば電話で具体的にどのような協力をするかその回答を催促し、結局、昭和五七年二月一二日ころ一応日立セメントから実損回復の関係で八〇〇万円を支払つてもよいという趣旨の答を得たものの、同月一六日に日立セメントの代理人とみられる堀内弁護士から金銭支払を否定するような態度をとられたことから、同月一七日から同月一九日までの間日立セメントの関連系列会社である日立コンクリートの三工場に対し「宣伝行動」という名のもとに実際の出荷を妨害する実力行動に出たうえ、一五〇〇万円の支払を請求し、その結果、現実の損害もさることながら出荷業務が阻害されることによつて生じる経済的信用の低下を恐れた日立セメントから一三〇〇万円の支払を得たものである。したがつて、運輸一般東京生コン支部として行なつた、日立セメントから右二月一二日ころに八〇〇万円の支払を承諾する趣旨の回答を得た時点までの行動も、かなり執拗で押しつけがましく、平穏な要請行動というにはかなり度を過しているものと認められるが、それはさておくとしても、日立コンクリートの三工場に対し「宣伝行動」に及んだのちの被告人らの行動は、まさに日立セメントに対し全く支払義務のない金銭の支払を要求しかつ実力を行使してその現実の支払を強制したものにほかならず、前記のような労働組合の活動として許容される範囲を完全に逸脱し、とうてい許容されるものでないことはいうまでもない。

以上要するに、弁護人ら主張のようにいわゆる背景資本に対する協力要請行為もそれ自体としては労働組合の正当な活動として許されるものという前提に立つて考えても、被告人らの本件所為は社会的に許容される範囲を完全に逸脱し、社会的相当性を具備するなどと認められないことが明らかであり、結局、被告人らの本件所為は恐喝罪に該当し、違法性を阻却する事由は一切存在しない。したがつて、弁護人らの本件においては社会的相当性を具備し無罪であるとの前記主張は理由がなく採用できない。

第三公訴権濫用の主張について

一弁護人らは、(1)本件公訴提起は、使用者に対し影響力を行使しうる地位にある背景資本に対して争議の解決を要請するという労働組合としての当然の行動について、捜査当局が、被害者とされる日立セメントの意思や認識も無視して、労働運動を抑圧し、かつ、運輸一般東京生コン支部の組織破壊を図ろうという政治的意図のもとに恐喝事件を仕立てあげ、被告人らを不当に逮捕勾留し、起訴したものであつて、公訴権を濫用した無効なものであり、(2)捜査官らが被告人らの逮捕勾留の期間中の取調の機会を利用して、被告人らに対する憲法違反の黙秘権侵害、自白強要、思想転向強要、弁護人依頼権侵害等の人権じゆうりん行為を続け、また、捜索の必要性のない上部団体の事務所などを多数捜索するなどしており、このような違法な捜査を前提とした本件公訴提起は、著しく正義に反し許されない場合にあたり、結局、本件公訴は棄却されるべきであると主張している。

二しかし、弁護人らの右主張のうち、捜査当局が恐喝事件を仕立てあげたとする点については、被告人らの所為が恐喝罪を構成し、その喝取金額、行為の態様などに照らしても社会的に強く非難されるべき犯行であることは前記第一及び第二において詳細に判断を示したとおりであり、被告人らの本件所為が正当なものであるという前提に立つ点において既に失当である。すなわち、右認定のように被告人らの所為が一個の犯罪を構成し、かつ、これがかなり重大なものと認められる以上捜査当局において本件について捜査し、所定の手続に従つて被告人らを逮捕勾留し、検察官において公訴を提起することは、その職権行使としてまさに正当に許されていることであり、本件起訴が公訴権の濫用にあたるとする弁護人らの主張は全くその前提において誤りである。

三次に、捜査官らが被告人らに対する取調の機会を利用して自白を強要するなどしたとする点については、被告人らの供述中には、取調を受けた捜査官から、(1)「連日、午前一〇時ころから午後九時半ないし一〇時半ころまで取調を受け、この間昼食時と夕食時に各一時間しか休憩が与えられなかつた」(第一九回公判調書中の被告人志村の供述部分)、(2)「『このままだと娘も結婚や就職は絶対にできないぞ』『黙秘権はあることはあるけど、お前たちはそんなものはない、生意気なこと言うな』などと言われて自白を強要された」(第一九回公判調書中の被告人志村の供述部分)、(3)「『お前は運輸二般を作つたらどうだ』『背景資本に対する追及というのは絶対許さん……、方針を替えない限り、何度でもこういうことになるぞ』などと言われて、組織の運動に介入された」(第一八回公判調書中の被告人植草の供述部分)、(4)「『マスコミでの大宣伝をさせてもらつたから、お前たちの政治生命、それから組織の再起はもう裁判の帰趨がどうなろうとも、こつちのものだ』などと言われた」(第二一回公判調書中の被告人猪浦の供述部分)、(5)「『お前らはもう社会的にマスコミの大宣伝によつて、犯罪者というレッテルを貼られたんだぞ』などと言われた」(第一八回公判調書中の被告人植草の供述部分)、(6)「『弁護士は日当と交通費欲しさにやつて来るんだ……、また、あの若い弁護士に何ができるんだ……お前たちにしやべつてもらつたら組織が困るんだから、お前たちの口封じに来てるんだ』と言われた」(第一九回公判調書中の被告人志村の供述部分)、(7)「『お前らの弁護士は替えろ……、とにかく、あれは組織弁護士だし、お前らのことなんか全く考えていない。金もうけのことだけしか考えていないんだから、お前だけのことを考えてくれる弁護士に替えたらどうか』とも言われた」(第一八回公判調書中の被告人植草の供述部分)などと供述している部分がある。もつとも、被告人らの右各供述部分については、前記第一において判断したとおり被告人らの各供述は事実関係に関する部分においても自らに有利な部分のみ誇張して述べていると窺われる点の多いことに照らし、全面的にその信用性を肯定できるものではない。

のみならず、仮に捜査官らが被告人らの取調に際し被告人らの述べるような言動をとつたという前提に立つたとしても、その取調方法が被告人らに対し多少侮辱的なものと認められるのは別として、被告人らに自白を強制する手段としてはさほど度合の強いものとは認められず、全体的にみて取調手続の違法としてそれ以上の手続の進行を止めなければ正義に反するというほどのものとは認められない。加えて、捜査機関による被告人らの取調と公訴提起との間には、取調の結果として捜査機関が被告人らの自白を獲得し、これによつて検察官が公訴提起に踏み切つたなどという直接的な結びつきは存在せず、その意味でも被告人らの供述するところに従い、捜査官らの取調方法に若干違法な点があつたという前提に立つても、右違法が本件公訴の提起の効力に一切影響を及ぼすものでないことは明白である。

四以上要するに、弁護人らの本件公訴の提起が公訴権の濫用ないし違法なものであつて無効であり、本件公訴は棄却すべきであるとの主張は、いずれの部分においてもまずそのよつて立つ前提において失当であり、これを採用する余地など一切見出すことができない。

よつて、主文のとおり判決する。

(松本時夫 佐藤學 松並重雄)

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